イセヒカリとササニシキの苗

HAPPY BIRTH CAFE

2018年06月15日 22:37



だから僕は今からでも、自分で食べるものは自分でつくるようにして、少しでもタネを採りながら、それを次の世代につなげていこうと言っているんです」



https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/negishi28






https://musicfarm.exblog.jp/i11/

イセヒカリ栽培を軸に環境保全重視の農業を心がけています




イネの品種改良

http://www.naro.affrc.go.jp/tarc/contents/school/kouhai/index.html
「温湯除雄法(おんとうじょゆうほう)」といってイネの花(穂)を約43℃のお湯に7分間つけておいて、花粉だけを働かなくさせる作業の様子です。お湯につけてもめしべは正常に働きます。この方法を前もって行うことで、母親のめしべに父親の花粉を確実に交配することができるようになります。



種子法の廃止と今後の対応

https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=150205

多国籍企業はJAを解体しようとしていますが、それを逆手にとって食と農を核とした協同の地域づくりを推し進めるのです。こういった100年先をも見据えたビジョンともいえる価値転換の巨大な流れこそが地域を守り、食を守ることにもなるのです!




強風に耐え冷害や病気に強く収量も上がることから、噂を訊いて尋ねてくる百姓に、亀治は金や欲にこだわらず、この種籾を無償で分け与えたという。

『亀の尾』
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/亀の尾#歴史
寺子屋程度の教養以外はすべて独学で農業を学んだ阿部亀治(あべ・かめじ:1868年-1928年)[9]が、1893年(明治26年)は、冷害の年に立谷沢(現:庄内町)の熊谷神社に参詣した際に、その近隣の田んぼで、在来品種「惣兵衛早生」の中で冷害にも耐えて実っている3本の穂を見出した。
亀治は、その田の所有者から穂を譲ってもらい、それを種子として翌年から翌々年にかけて生育させた。この二年間は、稈丈が伸びすぎたり倒れたりしたため、妥当な収穫を得るに至らなかった。
1896年(明治29年)に、水温が低い水口に植えたところ、多くは生育が不良であったが、1株だけ生育が良好な株があった。この株を抜穂選種し、作付けして足掛け三年の歳月を費やし収量を増やしたものが「亀ノ尾」である。強風に耐え冷害や病気に強く収量も上がることから、噂を訊いて尋ねてくる百姓に、亀治は金や欲にこだわらず、この種籾を無償で分け与えたという。




https://youtu.be/n0pncP9Vx7c
35分15秒から16秒

世界平和の基本
47分12秒から49分まで



人生はまさに夢そのもの
https://youtu.be/n0pncP9Vx7c



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