衣食住遊 イセヒカリ 今日無事生かして頂いてありがとう御座います

2014年11月24日

新嘗祭と長野の地震



地震びっくりしました。
長野でこれだけゆれたんだったら震源地はやばいんじゃないかって思ったら震源地だった。

世の中揺れてます。

新嘗祭と長野の地震

ふだんバックの中に入れてあるもの。本は別。ベッドライト、ナイフ、ライター、塩。サバイバルでなくてもあると便利。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141121-00000592-san-soci
産経新聞 11月21日 20時54分配信
 宮内庁は21日、天皇陛下がその年の収穫を神々に感謝する毎年11月23日の宮中祭祀(さいし)「新嘗祭(にいなめさい)」で、気温が低下する深夜に始まる「暁(あかつき)の儀」への陛下のお出ましを今年から取りやめられると発表した。

長野の地震もなんか意味があるのかも。
善光寺の灯篭が倒れて灯りが消える。

新嘗祭と灯篭

真っ暗闇

これからは一人ひとりが自ら心に灯りをつけ生きていきなさい的な時代に入ったのかなって思ったり。

自分が天皇陛下の代わりをやるぐらいの気持ちで。

ということで新嘗祭や日本の稲作の歴史ついての記事です。

新米はそれから。

新嘗祭とは
http://www.niinamesai.com/promoter.html
新嘗祭は、新穀の収穫を神に感謝するお祭りのことで、毎年11月23日に行われています。
「新嘗」とは、その年に収穫された新しい穀物を食することをいいます。
新嘗祭は、日本の古くからの重要な祭儀であり「豊葦原の瑞穂の国」の祭祀を司る最高責任者である天皇が、その年にとれた新穀を天神地祇に供えて、 農作物の収穫に感謝するとともに、自らも初めて召し上がれる祭典です。
この日は祭日で、全国の農山漁村ではもちろんのこと、それぞれの地方で神社に新穀を捧げ、その年の収穫を神々に感謝してお祝いをしてきました。
戦後に11月23日は勤労感謝の日と代えられましたが、新嘗祭は、元々このように天皇と国民とが一体となって天地自然の神々に感謝し、収穫を喜び合う全国民的な祭典だったのです。


ディスカバリージャパン 2010年12月号より抜粋

古代国家以来、米を選んだ人々が、日本の政治をリードしてきた。狩猟や商工業、焼畑耕作をしていた集団を、徐々に服従させてきたことで、米を至上の食物とする社会体制が確立された。こうした米中心の価値観は、現代の日本にまで受け継がれている。


天皇家の祖先神が日本に米を授けた?

『日本書紀』によるとアマテラスオホミカミ(天照大神)が稲を日本に授けたことから、この国は「豊葦原瑞穂国(豊かに稲がみずみずしく稔る国)」と呼ばれるようになったという。そしてこの稲を植えたのは、孫のニニギノミコトとされている。アマテラスは天皇家の祖先神にあたり、つまり天皇家は稲作を司る一族ということになる。こうして天皇家が、歴史的に政治的な力をもつようになった。そしてその最大の理由は、米の祭祀をおこなう最高の司祭者が天皇だったということにある。つまり天皇は、稲作祭祀という力で国を治めてきたのだ。民が生きていくために一番必要なことは、稲が豊かに実り、国が安寧であること。これこそが天皇家の一番大切な仕事だったのだろう。

実際、皇居にはいまも水田があり、昭和天皇以降、天皇自らが祭祀に用いるための米の田植えと稲刈りをおこなっている。いずれにしても宮中行事の中には、祈年祭や神嘗祭、新嘗祭といった、稲作に関係の深い行事が多くの残されている。

米作りが階級社会を生み出した

米づくりは一人ではできない。種まきから刈り取りに至るまで、集団の力が必要。特に安定的な米の力によって、次第に社会が大きく複雑化する中で鉄器づくりや農具づくりやなどさまざまな分業が必要となってきた。さらには共同でつくる米を分配したり、田植えや収穫の時期を決める人が求められるようになる。その役目を担う指導者や祭祀者が求められるようになった。分業化と階級制は、米づくりによる富の形成から生み出されたものだったのだ。


新嘗祭は品種改良のための古代農業の最先端技術だった。
http://happybirthcafe.naganoblog.jp/index_archives.php?entry_id=1295967&tag=新嘗祭



『循環農法 』赤峰勝人 著
より抜粋しました。

日本人の歴史は米そのものでした。米の歴史と言っても過言ではありません。平安時代の末期、坂上田村麻呂が奥州征伐に出かけたという話があります。しかし、これを違う観点から見ると、東北地方に合う米を作ることに専念して、農業試験場を作り、農業を広げたとも言われているそうです。力でもって人々を支配したのではなく、農業技術を広めることによって、地域や、そこに住む人々に溶けこんでいったのです。力で抑えようとすると失敗するところを、技術を伝え、米を作りながら多くの民と手をつなぎ、統治していったというところが彼の素晴らしさです。過去の歴史を見れば、米を大事にした所しか、藩は生き長らえていません。禄高は、何万石という米の報酬でした。それが金に変わってから、何かおかしくなっているような気がします。
さらに日本の食文化を壊したのは戦後が始まりでした。
戦争で闘ったアメリカにとって驚異と謎は、小国である日本人が、なぜ、あそこまで粘り強く、つよいのか?ということだったのではないでしょうか。
その答えを突き詰め、米と自給にあると気づいたアメリカが日本の食文化を壊し、日本の自給制度を壊すために、先ず取り組んだのは農地法の改正でした。
百姓をやめてサラリーマンになるのは、明日からでもできます。ところがサラリーマンをやめて農業者になるには、できにくい仕組みになっているのが新農地法なのです。先ず、農業を始める人は50a耕作しないと農業者とは認められないのです。この50aを借りるか耕作していないと、農業者として認められないので農地を手に入れることができないという法律が、今、ネックとなり、やっと多くの人が農業に目覚めても簡単にはやれない仕組みを作り上げているのです。
農業はやめやすく、始めにくい。
これが昭和二十二年にマッカーサー指令によって作り上げられた新農地法でした。その上、化学肥料を持ちこみ、下肥は汚いからと、清浄栽培の名のもとに、下肥を忌み嫌う方向に持っていかれたのです。
さらに拍車をかけるように、「米を食うとバカになる、パンと肉を食えばアメリカ人のように体格がよくなり、頭がよくなる」というもっともらしい話が、いつの間にか日本中に感染しました。日本を救済するというりゆうで、アメリカで余った小麦と脱脂粉乳が日本中に出まわり、口あたりのいい甘くてやわらかで手軽なパンに、飢餓状態だった国民は飛びついたのです。
それがどうでしょう。今頃になって、マクガバン報告(1977年、アメリカ上院マクガバン委員会は、文明国の食事は健康を侵害し、成人病など多くの病気の原因になっていることも明らかになりつつあると膨大な報告をした)は、日本の五十年、六十年前の食事が最も良いという結論を出したのです。
農地改革にして地主制度を全部なくし、確かに当時の小作人は大喜びしました。しかし、ただで土地をもらった小作人が、今、何人、米を作っているでしょう?ほとんど残っている人はいません。
講演でもよく出かける、秋田、岩手、新潟地方は膨大な農地があり、感動するほどです。昔は寒さのために非常にできにくくなっていましたが、今は地軸の移動のせいでしょうか、暖かくなって米ができやすくなっていると思います。しかし、今度は米を作る人がいないのです。二十代の米作りの後継者はほとんどいないと聞いています。講演を聞いて、農業を始めようかと思いつく若者を止めるのは、農業に従事してきた親や祖父たちだそうです。なんと悲しいことでしょう。
こんな現状を変えて、百姓という仕事の認識を新たにしていこうと、作物を育てる側ら、講演や執筆活動を続けています。この二十一世紀に一人でも多くの若者たちが百姓、または自給者を目指していってほしいものです。




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Posted by HAPPY BIRTH CAFE at 08:55│Comments(0)自然回帰
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