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2013年02月04日

茶道の教科書『茶味』⑴


茶道を学びたいと思っていた自分は一冊の本に出会った。

奥田正造の『茶味』である。

誕生日にお茶会をした時に頂いた。

本をプレゼントしてくれた諏訪さんは現在戸隠で自然農で畑や田んぼ作り又永年物創りをして自分たちの経験してきたことを一緒に学びあう場を造っている

自然法爾・生きるを学ぶ「ゆったり庵」

春にオープン予定だそうです。




諏訪さんに茶道のことを尋ねた時に奥田正造の話になった。

奥田正造は「法母庵茶道」としてその教えを受けた人たちによって受け継がれ、教則本も出版されているが家元・流派を称することはしなかったという。

自分の思っている茶道の世界のイメージとは違い興味をもった。

なんだかアナーキーな感じがした。

そしてこの諏訪さんの奥さんはこの奥田正造のお弟子さんに実際に茶道を習っていたということである。

読んでみると漢字や言葉が難しく読みにくい本だがこの世界観はすごいと思った。

現在は出版されていないようでとても残念である。


奥田正造の『茶味』をこれから少しずつ紹介します。



奥田正造と『茶味』

谷 晃

かつては多くの人が茶の湯を楽しんでいたにもかかわらず、最近の生活様式の変化などで茶の湯人口が減少しつつあると囁かれてからすでに久しい。しかも若者の茶の湯離れがはなはだしいと嘆きも聞かれる。しかし私は、現在の若者たちが茶の湯に興味を失ってしまったとは思っていない。むしろ潜在的に多くの若者たちが茶の湯に関心を抱きながら、既存の茶の湯にたずさわる人たちが、その気持と意欲を掬い上げることができないところに大きな問題の一つがあると考えている。ではなぜそうした若者たちを掬い上げることができないのか、それはよく言われるように若者たちが大人にとって異星人になってしまったからではなく、むしろ既存の茶の湯が、若者たちの真摯な問いかけに答えきれないところにも一因があるのではないかと思う 。
世の中の大人たちが若者たちに対して違和感を抱くのは別に現代に限って見られる現象ではなく、大袈裟にいえば人類の歴史が始まって以来、洋の東西・地球の南北を問わず普遍的に存在していたことであり、大人たちはいつもとまどいを禁じえなかったのである。その時々の大人たちはあるいは説得し、あるいは若者たちに委ねながらも、世代間の対立や行き違いが続いてきたのが人類の歴史の一面であるといってもよいだろう。
すなわち現在の茶の湯が直面しているのはまさしく世代間の行き違いであって、大人たちは、つまり既存の茶の湯がいかにすればその行き違いを解決できるかによって、これからの茶の湯のあり方が大きく異なってくるに違いない。
その問題の解決に重要な示唆を与えてくれる書物が、奥田正造という人物によって署された『茶味』ではなかろうかと、私はひそかに考えている『茶味』はそれが上梓されてしばらくは、学校の教科書にも取り上げられたりして、茶の湯の世界だけではなく世間一般にもずいぶんと注目されたにもかかわらず、長らく絶版なっていたこともあり、最近ではあまり顧みられることもなく忘れ去られつつある書物のように見受けられる。しかし、その内容は含蓄に富んでおり、また著者の奥田正造の生き方そのものも、現代人にとっておおいに啓発されるところが大きい、すぐれた書物であるということができよう。
『茶味』の筆者奥田正造は、明治十七年(1884)飛騨高山に生まれ、第一高等学校から東京帝国大学に進んで心理学を修め、いくつかの女学校を経て成蹊女学校に転じてその校長となる。成蹊女学校時代に居宅を学校敷地内へ移し、
そこに茶室法母庵と不言案をたて、終生そこを移ることはなかった。彼は『茶味』に書いたそのままの生活をそこで実践し、またその思想の根幹において女子教育に挺身するかたわら、長野県を中心に各地で講演と茶の湯の指導を行い、『茶味』にしめした茶の湯の普及に生涯を捧げ、昭和二十五年三月九日に没した。享年六十七歳。
奥田正造が『茶味』を署したのは大正八年(1919)三十六歳の時であるから、この時期には彼の茶の湯の思想はほぼできあがっていたのであろう。事実その後は執筆依頼があっても、「自分の考は『茶味』に言い尽くしている」といって、茶の湯に関する署述はほとんど断っている。
中略
奥田正造の茶の湯の基礎は幼時に表千家流を学ぶことによって培われ、さらに大学卒業後に有楽流を学んで手前についていろいろ考えたうえで独自の手前を考案し、現在もなおそれは「法母庵茶道」としてその教えを受けた人たちによって受け継がれ、教則本も出版されている。とはいっても家元・流派を称することは彼の排することであるから、それを奥田流手前とか法母庵流手前とか称することはなく、あくまで教えに忠実であることを旨として、多くの人々が研鑽を続けている。
奥田正造の生涯をたどってみると、『茶味』はその茶道論を述べた書物というよりは、彼が到達した仏教と茶の湯の基底に据えた「真の生活」の樹立宣言書と見ることもでき、以後彼は「茶味』に述べた「真の生活」をもっぱら実践しながら、教壇に立ち、各地を巡り、その普及に努めたのである。

先に『茶味』を緒した後はほとんど茶の湯に関する著述を断っていたと述べたが、いっさい文章力を書かなかったといえばそうではなく、折にふれて感じたこと思ったことなどを書き留めており、それらは『奥田正造全集』全三巻にまとめられている。そのなかに収められた「茶道案」と題する小文(後に『奥田正造選集』に再録)の冒頭に、「茶を知りたい人、習いたい 人」として次の文章がある。

知りたい人は文献の研究を志すがよい、只知つた丈けで楽しめる人の境界は垣の外からのぞく庭の景色で簡易である。併し自分の生活そのものでないから真味の喫著は疑はしい。(中略)
習ひたい人、即ち楽しみたい人、換言してその境に入りその味を喫したい人、即ち自分の日常生活化したい人、それにはよむだけでは行けない、教を受ける態度がいる。
教を受けるとなると先生の教を無条件で甘受する要がある。

信者道元功徳之母 以信為能入

が必要条件で暫く一道を歩むことが肝要である。(中略)
この文章を読むと、私自身はいうまでもなく、茶の湯を学ぶ多くの人は彼のいう「知りたい人」であり「垣の外からのぞ」いているのに過ぎないのではないかとつくづく思い知らせる。と同時に茶の湯を学びたいと志す若者たちを含めて、「無条件で教を甘受」できる人がいかほどいるのだろうか、と思わざるをえない。すなわち若者たちが「知りたい人」ではなく「
習いたい人」として「無条件で教を甘受」する姿勢を示し、また茶の湯を教える人たちが奥田正造のいう「真の生活」を「日常生活化」して、はじめて茶の湯における世代間の行き違いが解消できるのではなかろうか。
奥田正造がみずからの実践を通して示した『茶味』は発行以来八十余年の歳月を経過したとはいえ、その内容はけっして古びて苔むしたものではない。いま茶の湯にたずさわっている人たちはもちろん、これから茶の湯を学びたいと考えている人たちはもとより、何よりも日本文化とは何かを知りたいと考えている若者たちにとってもきわめて有意義な書物である。

つづく

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Posted by HAPPY BIRTH CAFE at 05:56│Comments(0)
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