衣食住遊 イセヒカリ 今日無事生かして頂いてありがとう御座います

2013年04月24日

なくなった農家の正月休み


耕作放棄地20年間で53%増

衰退が続く日本農業の病状は重く、これを実行すれば再生するという特効薬はなかなか見当たらない。
信濃毎日新聞 4月24日



自然農法で日曜日のレジャーとして農作して生活の基盤を作っておいて、あとは好きなとをおやりなさい、というのが私の提案なんです。

昔の武士は農作業もして自立して生きていた。衣食住がまかなえれば無理に城に仕えなくてもよいし、理不尽なことにには従わない選択肢があった。


http://satehate.exblog.jp/19869423/
より
唯一の希望は、若者はもはや農業には無関心であるという通念に反し、農業を始めたいと思い、それを熱望している若者はヨーロッパ中に溢れているという事実である。若者の農業への関心の高まりは、一部、健康的な地方の食品と持続可能な農業への関心に触発されたものである。

 日本とは無縁な話という向きもあるかもしれない。しかし、それは日本の農業政策にも深刻な反省を迫るだろう。ほんの一握りの「担い手」(専業農家、法人経営など地域の農業を牽引するとされる農業者)への農地集積による規模拡大・効率化の追求を基軸とする日本の農業政策、あるいは「戸別所得補償」を万能の政策手段とするような日本の農業政策は、高齢化と農業就業人口の減少に象徴される日本農業の後退を決して止めることができなかった。どこが間違っているのか、何が足りないのか、この報告は暗にそれを示唆している。



わら一本の革命 福岡正信著
より抜粋

なくなった百姓の正月休み

国際分業っていうのが、現在の農政経済学者あたりの、支配的な考え方なんですが、農業というのは、本来、分業で、特殊な地域で少数の者がやるべきというんじやなくてですね、すべての人間が、自分の生命の糧を自分で作って、自分が生きているということをかみしめて、日々生きていくというのが本来であって、他人にまかせ、一部の者に作らす、あるいは、肉は、どこそこの国で作り、果物はどこそこの国で作り、魚はどこでとればいいという、国際分業論的な考え方っていうものは、全く人間の生活の原点ということを忘れた政策だといわざるをえないと、私は思うんですね。
今まで、農業というものは、小農ではだめだ、小農っていうのは原始農業だ、それから早く脱皮して、面積を拡人して、近代的な農法を営むためには、アメリカ的な、機械化された大農場経営にならなきやいけないというのが、一般の農政学者、あるいは、技術者の考え方なんですが、これは農業だけでなく、あらゆる分野の開発ということも、すべて、その方向に進んでいたわけなんです。
ところが、今や、小よりは大でいいという観念が、根本的に反省されなきゃいけない時期にきているわけでして、大、必ずしも大ではない、小、必ずしも小ではない。むしろ、小よりは大がいい、少ないよりは多い方がいい、と欲望を拡大してきたのが、現在の世の中のゆきづまりを招いた根本原因になってるわけで、ここまでくるというと、盲目的な拡大、発展のすえは、分裂、崩壊という危機しかない。で、今日の分裂、崩壊の危機に立ってみてはじめて、拡大、強化によるはなやかな発展というものがかえって、人間崩壊につながっている、ということに気づかざるを得ない。結局、それは、自然と人間との、離反ということだけにしか役立たなかったということが分ってくる。そこで今度は、ものの発展ということじゃなく、人間を主体にして、遠心的な拡大の方向から、求心的な凝結方向に向かっての、収斂といいますか、そういう方向に向かっての進展というものをめざさなきやならない時期にきている。いわゆる物質を迫いかけて、物欲を満足させていくという方向から、物欲は犠牲にしても、求心的に、精神的な向上、発達というものをめざす、いわゆる収斂の時期に入ってきているということが言えるわけです。農業の方面でも、ただ拡大すればいいんじゃなくて、むしろ、小面積のところで、楽な百姓をやって、生命だけをつなぐ。物質生活や食生活は、最小限の簡素なところにおいておく。そうすると、人間の労働も楽になり、時間的にも余暇がふえ、精神的、肉体的な余裕ができてくる。その余裕を、物質文明ではなく、本当の文化生活というものに、高い次元の精神生活にむすびつけなければいけない。そういう時代に入ってきてると思います。
だから、百姓が大経営をすればするほど、物心両面に追いまわされて、結局、そういう精神生活から遠ざかってしまうんです。キリストは、心の貧しき者、神に近しと旨った。心の貧しき者というのは、心が素朴で、さらに、物質的にも貧しいというような者の方が、もっと神に近づきやすいということです。とにかく、本当の人間らしい生活というものは、むしろ原始生活のように見える、いわゆる小農の生活の中にあって、その中でこそ、大道の研究ができるんです、最小の世界に徹底すれば、最大の世界が開けてくるというのは本当だと思います。近代農法をやっておって、詩や歌やなんかをひねったり、書いたりする暇はでてこない。
昔の五反百姓は、貧農やなんかといわれながらも、年末がきて、正月があけたら、もう、やる仕事がなくて、一月、二月、三月は山のウサギ狩なんかにばかり出かけておった。それだけの余裕があったんです、だいたい、正月というのが、昔は三ヶ月もあった。これがニカ月になり、一ヶ月になり、そしてもう、十五日がきたら、正月は終わりだといって、注連飾をのけるようになったのは、つい近年のことなんです。それがさらに、その十五日も廃止されて、このごろは、三日の正月になってしまった。その、三日の正月も、農村では三日間丸休みすることがほとんどなくて、二日になり、一日になっているわけなんですよ、それほど短縮されてきた。
正月の休みの長さだけを見ても、これだけ短縮されてきたということは、百姓が、非常に忙しく、心身共に余裕がなくなってきているということなんですね。
で、先日も、私は驚いたんですが、村の小さな神社の拝殿を掃除しておりましたら、そこに額がかけられておるんですよ。それを見るというと、おぼろげながら、俳句が数十句、短冊のような板に書かれているんですね。このちっぽけな村で、二十人、三十人の者が、俳句をつ
くっていて、それを奉納していた、多分、百年か..百年ぐらい前だと思うのですけれど、それだけの余裕があったんです。そのころのことですから、貧乏農家ばっかりだったはずですが、それでも、そういうことをやっていた。

現在は、この村で一人だって、俳句なんかつくっている余裕はないわけです。で、冬の正月でもよほど好きな人が、正月休みの一日か二、三日、かくれて鉄砲もっていって、ウサギ狩するという程度なんですね。レジャーなどと言ってもテレビが主体で、生活と密着した遊びの時間というものが、今の百姓には全くなくなってしまっている。これなんかは、いわゆる農業が、物質的には発達したように見えて、精神的には貧弱なものになってきている一例といえるわけです。

 老子は、小城寡民というようなことを言っていますが、小さなところで生きていたのでいいんだという考え方なんです。達磨さんも、一ヵ所に坐りこんで九年間も生活できたほど、ばたばたはしなかった人なんですが、人間はそれでいいんだと思います。百姓が日本中を股にかけて儲ける作物を作ったり、送ったりするというようなことは、本来のやり方ではない。もう、ここに坐っておって、この小さなところで田畑を耕して、そして、その日その日の最大の、余裕のある時間というも
のを獲得するような農業っていうのが、むしろ、理想の農業であったはずなんです。







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Posted by HAPPY BIRTH CAFE at 14:59│Comments(2)スノーボード百姓
この記事へのコメント
どうも、「農業を始めたいと思い、それを熱望している若者」の一人です(笑)

先日、某NGOの田おこしに参加してきました。
天候にも恵まれ、みんなでワイワイ楽しく農作業!
そこは自然栽培かつコンクリなしで頑張っているからでしょうか?田んぼには生き物がたくさん住んでました。

なんだか田おこしは彼らの住処を壊しているようで申し訳ない気持ちにもなりましたが、チームとしてする方針なので今は仕方ないかな・・・
不耕起は別の場所で実験しようと思います。

農家になるのは非農家出身者にはハードルが高いので、まずは趣味として農業にかかわって行こうと思います。

いざ、「お金や社会のしがらみに縛られないで生きている自由人」の連帯社会へ!
Posted by 丸石 at 2013年04月24日 22:22
>丸石さま
わたしも、「農業を始めたいと思い、それを熱望している若者」の一人です。一緒ですね。
実家は農家だったり農業の学校には行きましたかが、自然農という言葉さえ知らなっかたし、農業なんてかっこ悪いとずっと思っていました。
でもそれは違いました。
自然や農について何も知らなことに気がつきました。
今は自然と繋がった農業というのを趣味や遊びとして模索しているところです。
楽しい活動なさってますね。
「お金や社会のしがらみに縛られないで生きている自由人」の連帯社会へ!
いいですね。
自由人めざして共に生きましょう!
Posted by Happybirthcafe at 2013年04月27日 05:17
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