衣食住遊 イセヒカリ 今日無事生かして頂いてありがとう御座います

2012年08月27日

買わない習慣




世の中の問題を突き詰めて行くとほとんどかお金…。
生きること=お金を稼ぐこと

そんな世の中に疲れたら自然の中に行くといい。
そこはお金の価値観が一切通用しない世界がある。
またそーゆー世界を作って共有したい。
不買運動をして経済を停止させてみたいとおもう。
でも、それを実行するは自然としっかりつながることが必要になってくる。

自然の中では、ただ生物としての生き抜く力と、自分を信じる心だけが武器であり財産なのです。

ということで本の紹介です。

お金に頼らずかしこく生きる
買わない習慣
金子由紀子 著より抜粋

自然の中に入っていこう

あなたはインドア派ですか?虫を見ると「キャーッ」と逃げ出し、土のついた野菜に眉をひそめるほうですか?
そうだとしても、買わない暮らしを志す以上、ぜひ自然に目を向けてほしいと思います。
何も、本格的アウトドアなどというものでなく、野辺の摘み草、バードウォッチング、昆虫採集のようなことでいいのです。花の名前をひとつ覚え、聞き分けられる鳥の鳴き声をひとつ増やすだけでいいのです。暮らしの中に自然を取り入れることは、買わない暮らしにとって、非常にたいせつなことです。
なぜなら、ひとつには、自然が「お金」という尺度を無意味化する存在だからです。
自然の中では、お金という尺度は通用しません。何でもお金に換算しようとすれば「森林の伐採権」「砂浜の使用料」といった方向に目が向くかもしれません。しかし、ひとたび山に登り、海に出れば、その場所の権利がいくらに換算されようが、あるいは自分がどんなに莫大な資産を持っていようが、一切の意味は消え失せます。荒れ狂う天候や急峻な地形、自分の位置を見失う広大な自然の中では、そんなものには毛ほどの価値もありません。ただ生物としての生き抜く力と、自分を信じる心だけが武器であり財産なのです。
そして、どんなに美しい景色も、四季おりおりの花や鳥の歌声も、それを楽しむのは全部タダ。料金も税金もかかりません。それは人間が作ったものではないからです。
もうひとつ、自然に親しんでいると、人と比べることが少なくなります。
自然には何ひとつ同じものがなくしかも刻々と変化し続けています。いくらでも同じ商品が在庫にあり、24時間明るく季節の変化もわからない都会とはまるで違っています。
こんな環境にあると、私たちが一人ひとり皆違っていると同時に、今この瞬間もまっしぐらに「死」に向かって進んでいる、きわめて平等な存在であることが理解できます。だから、そんな自分を、比べることの無意味さにも、おのずから気づくのでしょう。
そして何より、自然の中では無条件に心が癒されます。
さまざまなことが高速化した現代では、一切にムダがなく効率のよいことが美徳とされます。しかし、それは生物としての人間の生理に合わない部分がある。社会に自分を合わせ切れない人たちの中には、自分を過剰に卑下したり、心を病んだり、幸福に暮らすことが難しくなっている人が増えています。
「癒し」は、「エステ」「温泉旅行」「グルメ」のように、「買う」ものだと思われていますが、本当にそうでしょうか。お金で買う癒しは、即効性がありますが、効き目が切れたらまた同じものを買わなければならない高価な薬のようなものではないでしょうか。
でも、自然が与えてくれる癒しには、もっと本質的なものがあるようです。
閉園の危機から奇跡の復活を遂げ、日本一と言われるようになった北海道・旭山動物園の前園長で獣医師の小菅正夫先生が、著書『〈旭山動物園〉革命』(角川書店刊)の中で、こんなことを書いておられます。


「大昔、ヒトの先祖は、森の中でチンパンジーと同じような生活をしていた。そのあと森を捨て、草原に出てきた。(中略)そうした猛獣から身を守るために、人は集団で暮らすようになる。こんなふうに、動物が一つの種だけ固まって暮らすのは地球上で初めてのことだった。そうしているうち、人の心に『ゆがみ』が生じたのだと思う。(中略)それを解き明かすために人は森に戻っていこうとした。」


私は最近、亡父から受け継いだ山林(雑木林)の管理を始めたのですが、実は最初はあまり乗気りがしなかったのです。面倒くさいし、一銭にもならないし…。
ところが、した草刈りのため、森に一歩足を踏み入れた途端、
「うわー、楽しい…!」
という気持ちがこみ上げてきたのです。レジャー施設でも、商業施設でもない、不動産価値もほとんどない山の中で。そして、上に掲げた文章を思い出したのです。
誰もが、その心の中に一匹のサルを飼っていて、そのサルは、森に帰りたがっているのではないか?喜んでいるのは、私の中のサルなのではないか?
私たちの先祖は、常に自然の中で、自然と共に生きてきました。私たち社会に貨幣経済が浸透する過程は、そのまま、自然が「共に生きる存在」から「お金に換算できる、収奪の対象」に変化する過程でもありました。
もう一度、自然を「消費するもの」ではなく「共に生きるもの」として捉え直し、暮らしの中に取り込むことはできないでしょうか。ささやかな自然とのふれあいの中から、買わない暮らしのヒントや楽しみが、必ず見つかると思います。

以上抜粋


「もののけ姫はこうして生まれた」より宮崎駿監督が語る自然と人間の関係
http://www.youtube.com/watch?v=EOpA8L8Ngvg&feature=youtube_gdata_player








Posted by HAPPY BIRTH CAFE at 22:24│Comments(0)
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