2015年04月17日
ハッピーレシピと戦後70年の記憶
「荒川先生が新聞に載っていた」と連絡があった。
荒川先生とは書道教室の先生
戦争に行ったことは知っていたが、戦争の話は一度も聞いたことはなかった

戦後70年の記憶
「一人だけ生還」語れなかった体験
「戦争は何の役にも立たぬ」
信濃毎日新聞 2014年(平成26年)4月27日」
「ゴツン、ゴツン」。輸送船「長城丸」の船尾近くに、敵潜水艦の魚雷が何発か当たる音が聞こえた。エンジンが止まり、照明が落ちた。「沈む」。船の前部が持ち上がり、甲板の上を人が滑り落ちてきた。船はわずか2分ほどで沈み、渦に巻き込まれて海中に10メートルほど引きずり込まれた。
1944(昭和19)年2月16日午前1時半ごろ、陸軍伍長で通信兵だった荒川光広さん(95)=長野市篠ノ井塩崎=はフィリピン南部ミンダナオ島東方沖の太平洋に放り出された。船は荒川さんが所属する電信第24連隊第2中隊の231人を含む兵士ら千人近くを乗せ、ニューギニアに向かっていた。
海面に浮かび上がると、長さ5メートルほどのボートの破片が目に入った。しがみつき、はい上がった。夜が明けても救助の船は見えない。そのうち見知らぬ別の舞台の少尉と2等兵が破片にはい上がってきた。波は穏やかだった。その分、照り返しはきつく、日焼けした耳や唇にかさぶたができた。
口に入れるものは何もなかった。沈没から4日目の夜、意味の分からないことを言い始めていた2等兵は、気づくといなくなっていた。荒川さんも大きな蛇口から水が流れ出ている幻覚を見た。少尉は5日目、晴天の星空に鉄帽を向けて雨水をためようとし始めた。やはり気づいた時にはいなくなっていた。
6日目の朝、島が見えた。丸太舟をこいできた住民2人に助けられた。ミンダナオ島南端だった。中隊の仲間は誰もいなかった。
ーーーーーー
長男として篠ノ井塩崎の農家に生まれた。尋常高等小学校4年生のころ、近くの田んぼで兵隊の演習をした。大砲は空砲でも迫力があった。高等科(現在の中学)では、校舎の廊下に男子の数だけ模型の銃がたて掛けられていた。扱い方は在郷軍人に教え込まれた。「その頃は兵隊に行って偉くなる気持ちになっていた」
卒業後は上田の専門学校で経理を学んだ。39年に20歳で徴兵検査を受け、翌年に神奈川県の陸軍部隊に入った。マレー半島に送られる船内で、太平洋戦争が始まったと知った。「えらいことになったと思ったが、身が引き締まった」
マレー半島には多くの敵兵の死体ががあった。初めてかぐ戦場の臭いだった。42年の2月、シンガポール陥落作戦に参加して民家に通信所を開いた。近くのゴム林から日本兵が中国人2人を引きずり出し、「スパイだ」と言って目の前で撃ち殺した。
同年10月に転戦しようとした激戦地ガダルカナル島には、敵の激しい攻撃で近づけなかった。近くの島に上陸後、アメーバ赤痢にかかって野戦病院に入院。終戦までに餓死や戦病死を含めて2万人以上もの日本兵が死んだガダルカナル島から病院に送られてきた兵士は、衰弱して幽霊のようだった。
半年ほどして回復し、部隊に戻った。44年1月に現在のベトナム・ホーチミンからフィリピン・マニラ経由で向かったのがニューギニアだった。
ーーーーーー
住民に救助された荒川さんはミンナダオ島で米軍の捕虜になり、45年12月に復員した。戦前に就職した中部電力の前身の会社に戻り、定年まで中電で働いた。
「自分一人だけ生き残ってしまった」「自分一人だけ助かった」。「一人だけ」と繰り返す荒川さんは、家族以外には戦争体験をほとんど語ってこなかった。20年ほど前に1部だけ作って手元に置いていた自分史を、この一年何度も読み返すようになった。「中隊の230人はみんな死んだ。体験を分かち合うことができないのが寂しい」。太平洋に放り出されてから70年余り、「亡くなった230人を思い出すことが弔い」と取材を受け入れた。
通信兵の荒川さんは、5年に及ぶ軍隊生活で人に向けては1発の弾丸も放つことがなかった。中隊でただ一人生還することができた荒川さんの祖国、日本も、戦後70年近く、他国に銃を向けることなく来た。
その日本で、政府は集団的自衛権の行使容認を検討している。「戦争は嫌だ」。ぽつりと言った荒川さんは、しばらく沈黙した後に続けた。「戦争は何の役にも立たない」
(沢村 圭一)
以上抜粋

荒川先生の書

先生が作ってくれた印
戦争のないピースな社会の作り方
https://youtu.be/MQA-zeZJxbk
戦争の原因は経済問題はらば、みんながお金に頼らず生活すれば戦争はできない
『自給自足』が世界平和の鍵
天国あります
https://youtu.be/LlZB441t1F0
荒川先生とは書道教室の先生
戦争に行ったことは知っていたが、戦争の話は一度も聞いたことはなかった

戦後70年の記憶
「一人だけ生還」語れなかった体験
「戦争は何の役にも立たぬ」
信濃毎日新聞 2014年(平成26年)4月27日」
「ゴツン、ゴツン」。輸送船「長城丸」の船尾近くに、敵潜水艦の魚雷が何発か当たる音が聞こえた。エンジンが止まり、照明が落ちた。「沈む」。船の前部が持ち上がり、甲板の上を人が滑り落ちてきた。船はわずか2分ほどで沈み、渦に巻き込まれて海中に10メートルほど引きずり込まれた。
1944(昭和19)年2月16日午前1時半ごろ、陸軍伍長で通信兵だった荒川光広さん(95)=長野市篠ノ井塩崎=はフィリピン南部ミンダナオ島東方沖の太平洋に放り出された。船は荒川さんが所属する電信第24連隊第2中隊の231人を含む兵士ら千人近くを乗せ、ニューギニアに向かっていた。
海面に浮かび上がると、長さ5メートルほどのボートの破片が目に入った。しがみつき、はい上がった。夜が明けても救助の船は見えない。そのうち見知らぬ別の舞台の少尉と2等兵が破片にはい上がってきた。波は穏やかだった。その分、照り返しはきつく、日焼けした耳や唇にかさぶたができた。
口に入れるものは何もなかった。沈没から4日目の夜、意味の分からないことを言い始めていた2等兵は、気づくといなくなっていた。荒川さんも大きな蛇口から水が流れ出ている幻覚を見た。少尉は5日目、晴天の星空に鉄帽を向けて雨水をためようとし始めた。やはり気づいた時にはいなくなっていた。
6日目の朝、島が見えた。丸太舟をこいできた住民2人に助けられた。ミンダナオ島南端だった。中隊の仲間は誰もいなかった。
ーーーーーー
長男として篠ノ井塩崎の農家に生まれた。尋常高等小学校4年生のころ、近くの田んぼで兵隊の演習をした。大砲は空砲でも迫力があった。高等科(現在の中学)では、校舎の廊下に男子の数だけ模型の銃がたて掛けられていた。扱い方は在郷軍人に教え込まれた。「その頃は兵隊に行って偉くなる気持ちになっていた」
卒業後は上田の専門学校で経理を学んだ。39年に20歳で徴兵検査を受け、翌年に神奈川県の陸軍部隊に入った。マレー半島に送られる船内で、太平洋戦争が始まったと知った。「えらいことになったと思ったが、身が引き締まった」
マレー半島には多くの敵兵の死体ががあった。初めてかぐ戦場の臭いだった。42年の2月、シンガポール陥落作戦に参加して民家に通信所を開いた。近くのゴム林から日本兵が中国人2人を引きずり出し、「スパイだ」と言って目の前で撃ち殺した。
同年10月に転戦しようとした激戦地ガダルカナル島には、敵の激しい攻撃で近づけなかった。近くの島に上陸後、アメーバ赤痢にかかって野戦病院に入院。終戦までに餓死や戦病死を含めて2万人以上もの日本兵が死んだガダルカナル島から病院に送られてきた兵士は、衰弱して幽霊のようだった。
半年ほどして回復し、部隊に戻った。44年1月に現在のベトナム・ホーチミンからフィリピン・マニラ経由で向かったのがニューギニアだった。
ーーーーーー
住民に救助された荒川さんはミンナダオ島で米軍の捕虜になり、45年12月に復員した。戦前に就職した中部電力の前身の会社に戻り、定年まで中電で働いた。
「自分一人だけ生き残ってしまった」「自分一人だけ助かった」。「一人だけ」と繰り返す荒川さんは、家族以外には戦争体験をほとんど語ってこなかった。20年ほど前に1部だけ作って手元に置いていた自分史を、この一年何度も読み返すようになった。「中隊の230人はみんな死んだ。体験を分かち合うことができないのが寂しい」。太平洋に放り出されてから70年余り、「亡くなった230人を思い出すことが弔い」と取材を受け入れた。
通信兵の荒川さんは、5年に及ぶ軍隊生活で人に向けては1発の弾丸も放つことがなかった。中隊でただ一人生還することができた荒川さんの祖国、日本も、戦後70年近く、他国に銃を向けることなく来た。
その日本で、政府は集団的自衛権の行使容認を検討している。「戦争は嫌だ」。ぽつりと言った荒川さんは、しばらく沈黙した後に続けた。「戦争は何の役にも立たない」
(沢村 圭一)
以上抜粋

荒川先生の書

先生が作ってくれた印
戦争のないピースな社会の作り方
https://youtu.be/MQA-zeZJxbk
戦争の原因は経済問題はらば、みんながお金に頼らず生活すれば戦争はできない
『自給自足』が世界平和の鍵
天国あります
https://youtu.be/LlZB441t1F0
2013年02月18日
2012年07月14日
自然の中で楽しむ

写真は伝説のサーフィンフォトグラファー佐藤傳次郎さんの作品
「生きていること、そして友達…すべてに対する感謝を海は教えてくれる」
「人とは、競い合いたくはない、自然と競い合いたい」
すべてに対する感謝を海は教えてくれる。
山も海と同じかもしれない。
スノーボード仲間の女の子が人生で最高のパウダーを体験した時、あまりにもの気持ちよさに感動し涙があふれ、母親に生んでくれてありがとうと感謝の気持ちを伝えたそうだ。
感謝の気持ちは大自然の中で生まれる

この写真は白馬八方尾根の山頂 グラートクワッドリフトをおりてしばらく登った場所。
天気の良い日にお茶セットをもって一人で登ったりする。
ボードの板をひっくり返してテーブルにする。
二つのカップ
ひとつは自然へひとつは自分へ
自然の中で楽しんでいるとき、大自然に対して感謝の気持ちが生まれてくる。
自分も自然。
自然も自分。
2011年11月12日
TPPとハッピーレシピ

自分の身は自分で守るしかない。政府がいかに努力したところで、あなたたちを救うことはできまい。
どれほどの権力があろうとも、国民の支持が得られない政府など無力だ。
だから、明日はもう政府はないと思いたまえ。
そのとき、あなた自身が政府となるのだ。
マハトマ・ガンディーの言葉
「ハリジャン」1940年6月8日
TPPのスペシャリスト中野剛志さん真面目な話なのにすごく面白いのでオススメします。
http://www.youtube.com/watch?v=K4n4xtOTjCw&feature=youtube_gdata_player
http://www.youtube.com/watch?v=-fH-yoh2tAw&feature=youtube_gdata_player
メディアが無視し続け、情報をきちんと国民に伝えない。
今に始まった事ではないがTPPこれはさすがにまずい。
いま世の中を変えられるのはインターネットで正しい情報を得てしがらみがなく自由に行動できる人達。
あなたです。
自分自身が政府となり、みんなに気がついてもらうしか方法がない。
光と闇の情報戦争が世界中で繰り広げられている。
インターネット上の情報を現実社会に広めるために提案
それは
ひろまれハッピーレシピ作戦
まぬけな名前ぐらいがちょうどいい。
資本主義社会反対!中央銀行を廃止せよ!などというのは温和な日本には過激すぎるし否定はさらなる対立を生み出す。
さぁ日本から世界中に幸せを広めよう。
ネットの情報を一般社会に広めるきっかけにハッピーレシピを利用しませんか。
2008年に白馬岩岳の従業員食堂の壁に貼ったのがきっかけでその後どんどん広まったハッピーレシピ
そして今も広まっているパッピーレシピ。
まずはそこに秘める言葉の可能性を考えてみたい。
今までに老若男女人を選ばず広まっいった。
内容がシンプルで誰でもできることがよかったのかもしれない。
ただそこらに貼っておくだけで誰かが来てちょっと読んだらこれいいねということになり私も
欲しいとなり広まっていく。
コピーしてあげたり写メで撮ったり
さらにその人がまた何処かに貼って、また誰が見てひろまる。
営業も押し売りも宣伝もないのにいろんな人に広まっていくパワーがハッピーレシピにはある。
どうやらハッピーレシピは人の共感を呼ぶらしい。
しかし先日、父親にハッピーレシピについてお説教をされた。
父いわく、あんなものは人生に成功した人が成功の秘訣は何であったのかと人から聞かれて初めて答えるべきもので、お前みたいな者が一丁前に言うべきことではない。
さすがは父親。
反論しようとしたけどやめた。
生きていることがすでに成功なんだよと。
よく考えると批判はなによりありがたい。
たしかに自分から人に渡したりしているのは野暮でありスマートではない。
今ハッピーレシピを広めているのはあまり受け入れられない情報をオブラートに包んで広めることにある。
ハッピーレシピには
HAPPY BIRTH CAFE☆ブログのアドレスがある。無いのもある。
ハッピーレシピを読んだ人がその事に疑問をもちHAPPY BIRTH CAFEを調べるとここのブログに行き着く。
HAPPY BIRTH CAFE☆
伊勢神宮の稲イセヒカリとハッピーレシピを広めるフリーカフェ ー真実とおもてなしー
なんなんだ?
と思いつつ
案内にしたがって
初めてのかたはこちらへー活動目的ー
http://happybirthcafe.naganoblog.jp/c36249.html
と進むとそこにあるのはテレビやマスコミは伝えない情報が書かれている。
こうしてハッピーレシピから隠された情報が広まる。
マスコミなどが取り上げるまでどんどん広める。
無視できない状況に持ち込む。
ハッピーレシピで今までにためしたこと
☆コピーや拡散は自由にした。
☆とにかく人が集まる場所に貼った。
☆カフェで販売。
☆小さくしてお菓子のおまけに
☆結婚式の引出物に。
☆イベントなどでフリーカフェをして食べ物と一緒に
☆新聞の折込チラシに入れた。
☆英語版、中国語版、ロシア語版を作ってもらった。
☆面白いネタを作り新聞に取り上げてもらった。
☆車の後ろに貼った。
☆Tシャツのバックプリント
☆いろんな大会の景品に混ぜた。
☆スノーボードの板に貼って大会に参加した。
☆お店にいって忘れてきた。
☆イセヒカリといっしょに広めた。
☆トイレに貼った。
これからやろうとしていること
☆ホームページを作って無料ダウンロード
☆名刺の販売
☆『ママの休日』という絵本を作ってそこにハッピーレシピとHAPPY BIRTH CAFEを登場させ子どもと母親に広める。
☆
子どもたちの未来は今の自分たちの行動しだい。
できるできないではなくやったかやらなかったの問題だ。
子どもたちが大きくなったとき地球がどんな状況になっているにせよ精一杯やったと言える自分でありたい。
この時代にしかできないことをめいっぱいやってやろうと思う。
よいものを集結させる
http://mademoiselleai.nifty.com/madeailog/2011/11/post-342a.html
そしてハッピーレシピで楽しみながら広める。
思いに賛同できる方はぜひ協力してほしいです。
注意
最近、様々な場所にハッピーレシピを置き忘れてくる方が増えています。
ハッピーレシピを置き忘れないようにご注意ください。
2011年04月27日
浅見帆帆子さんとハッピーレシピ

ハッピーレシピのベースはこの本の中にあったものです。
17項目のうち14の言葉はこの本からです。
書店で何気なく手にとった本をパラパラ見ていたときにこのページの項目をみて、こうゆうの大事だなー思い購入しました。
ハッピーレシピをいいなぁと感じた人はぜひ、浅見さんの本を読んでみてください。
すごいです!
内容をすこし紹介します。
わかった!運がよくなるコツより
まずは基本をしっかりと…運のよくなる仕組み
「運のよさ」を決めているもの
わたしは、「人にはそれぞれ『精神レベル』というものがある」と考えています。
これは、その人が日々の生活の中でどれだけよい行いをしている、どれだけ心が穏やかな状態で暮らしているか、という段階を表しています。
この精神レベルが、その人のまわりに起こることを、すべて決めているのです。
良いことがたくさんあって、運も良く、憂鬱なトラブルにも巻き込まれずに流れるように生活できている人、今の状況に満足して幸せに暮らしている人は、精神レベルが高い人です。
何回もトラブルに巻き込まれ、やることすべてがタイミング悪く、いつも嫌なことが起きて不平いっぱいの人は、精神レベルの低い人です。何をやってもうまくいなかいように感じているでしょう。
よく「またまた運がよかった」とか「運だけでここまでやってきた」と言うことがありますが、「運」や「ツキ」、「タイミング」というようなものは、生まれたときから決まっているものではありません。
はじめから決まっていて、変えようのない不公平なことではなく、あなたの意識の持ち方で、すぐに良くも悪くもなるものなのです。
「運も実力のうち」で、どんなに小さなことでも、その人がどれだけ良い行いをしているかに応じておこります。
なにかをうまくいかせるには、直接の努力と「運」との両方なければ成り立ちません。
たとえば、仕事で新しい企画を考えたたとき、それがどんなに緻密に考えつくされたものであっても、始める時期を間違えればうまくいきません。誰でも時期くらいは考えると思いますが、それでも、予想もつかないことが起こったり、もう少し早ければよかった」という計算違いのことも起こり得ます。
この少しの違い、結果をまったく違うものにすることがあるのです。
たとえば、好きな人がいて思いを伝えたいとおもったけど、たまたま相手に、新しくつき合い始めた人がいるときであれば、「タイミングが悪い」ということになります。
ちょっとした違いで、どんなこともうまくいったりいかなかったり・・・、それが「運」というものです。
最近は、自分の力で「運」をコントロールできるという話が一般化してきました。「運」はもちろん、自分のまわりのことは、どんなに小さなことでも、自分の精神レベルに応じたことしか起こりません。
この仕組みがわかると、ほかの人に起こることと自分を比べても、不公平さや理不尽さを感じなくなります。
精神レベルが上がると、こうなる
精神レベルが上がると
●運が良くなる
●タイミングのいいことが起こる
●自分のかなえたいことが近づいてくる
●抱えているトラブルが解決する
●悩みがなくなる
●出会いたいと思うような人と出会う
●直感が冴える
●流れにまかせているだけで、うまくいくようになる
●すべてのものごとに意味のあることがわかる
●執着がなくなる
というようなことが起こり始めます。
なんでもうまくいっているような人を見て、「あの人は恵まれている」「自分とはスタート地点が違う」というように思うかも知れませんが、その人のだけが特別に恵まれているのではありません。その人の精神レベルが高いから、いろいろなことが満たされているのです。
精神レベルは、その人の性格、家庭環境、成長過程、学校、職業、社会的地位、経済力などはいっさい関係なく、自分の意識ひとつで変わっていくものです。
そうゆう意味では、すごく平等です。もって生まれてきたものに関係なく、すべての人に運の良くなるチャンスがあるからです。あなたが抱えている悩みを解決したり、夢を実現させたりする、すべての解決策は、あなたなの精神レベルを上げていくことです。
この一言につきると思います。
「精神レベルを上げていけば、あらゆる種類のトラブルが解決し、自分だけに起こるように感じる突発的な悲しいことも、なくなる」
「今の自分には絶対に無理と思えるような夢も実現する」
とはっきりと断言できます。
すでに、じゅうぶん運のいい人、いろいろなことを達成している人もいると思います。今、言ったような話を自然と生活の中で実践して、証明されている方々もたくさんいるでしょう。
でも、精神レベルをたかめることには限りなく上があって、どんなに上げても終わりはありません。上がれば上げただけ、もっとうまくいく流れの世界があるはずなのです。そうゆう意味では、一生、生活のレベルのアップに気をつけていかなければなりません。
「一生注意する」というつらいものではなく、一度コツがわかると、「人生は、うまくいくようにできている」と心の底から思えるはずです。
運がよくなって、なんでもうまくいくようにするには?
精神レベル上げる方法は?
精神レベルを上げる一番簡単な方法は、日常生活の中で「プラスのパワー」をためることです。
たとえば、「初級編」としては次のようなことがあります。
●毎日笑顔で過ごす
●まわりの人に優しくする
●礼儀正しくする
●自分の部屋や身のまわりを掃除する
●心の中で家族に「ありがとう」と思う
●まわりのことを穏やかな気持ちで眺める
●日々のどうでもいいことにイライラしない
●人の悪口を言わない
●自分の心がウキウキワクワク感じることをする、考える
●そのとき目の前にあることを一生懸命する
●憂鬱になること、嫌な気分になることは考えない
●本当になってほしくないことは口に出さない
●心配しない
●プラス思考で明るく過ごす
ほかにも、たくさんあると思います。
このような行いをしていると、不思議と運の良いことが起こり始めます。
今、挙げたそれぞれの項目と、運が良くなることは、一見まったく関係のないように思えるかもしれませんが、これが関係あるのです。まめしに実践していると、自分の生活がはっきり変わるので、誰でもわかるでしょう。
いくつものことを完璧に行うのは難しいのですが、今すぐ思いつくことだけでできそうな、じゅうぶんに効果があります。
「今日は一日まわりの人に笑顔でいよう」「今日は部屋を片付けよう」というように、日替わりにしてもいいと思います。
基本は、自分が「気持ちがいい、すがすがしい」という気分になれるかどうか、です。
だから、「今日はここに気をつけた、いい日だった」と楽しくやればいいのです。
良い行いをすると運が良くなる仕組みは、直接に起こることではありません。
たとえば、あなたが「まわりの人に笑顔で接する」と決めて、いつも優しくしていたその人から、直接、運のいい話を持ちかけられる、というようなことではないのです。
まったく違う別の分野で、運のいいことが起こるようになります。
「家族と円満に過ごすことに注意していたら、仕事でラッキーな話がやってきた」
「小さなことに腹を立てないようにしていたら、新しい出会いがあった」
という具合です。
まったく関係のない分野で良いことが起こるので、まさか、自分が身のまわりで行ないを良くしかここと関係がある、とは気づきません。
たいていは、「たまたま運が良かった、こういうこともたまにはある」と考えるのです。
でも、みんな関係があります。
「たまたま」は絶対なく、自分がどこかでしたことが必ず跳ね返っていているのです。
「精神レベル」と「波動」の話
自分のまわりには、自分の精神レベルに合ったことしか起こりません。
良いことも悪いことも、大きなことも小さなことも、その人が過去にどこかでした行いが、跳ね返ってきているのです。
「波動」という言葉を聞いたことがあると思います。人を含め、すべての「もの」からは波動が出ているというものです。気功の世界では「気」、ほかの分野では「エネルギー」とか「パワー」と呼ばれています。
波動の仕組みでは、その「もの」が出している波動と同じような波長の「もの」は反応し合い、その結果、一緒に振動(共鳴)します。違う波動同士のものが近づきあっても、なにも起こりません。
人間の精神レベルも、まさに、これと同じです。その人の精神レベルと、同じレベルのものごとや人が反応し合って、集まってくるのです。だから、身のまわりのことは、その人のにふさわしいことしか寄ってきていないのです。
つまり、「精神レベルが高い」とは、「波動の質が良い」ということです。
水面に石を投げたところを想像してください。「ドボンッ」と石を投げると、水が揺れて、石を取り囲むように円形状の輪ができます。その振動のせいで、遠くの水面に浮かんでいた葉っぱが揺れたり、もっと大きな石の場合は停まっていたボートも揺れます。
そして、その振動がどこかでぶつかって跳ね返り、元の石の所に跳ね返ってきますよね。石の出した振動が、また石自体を揺らすことになるのです。
人も「もの」なので、波動を出しています。まわりの「もの」に影響を与えながら生きているのです。
だから、自分がまわりに与えた振動は、まわりまわって、自分のところに必ず返ってきます。
つまり、あなたが良い波動を出せば(良い行いをすれば)、どこがで跳ね返って、同じくらいの良いことがあなたに起ります。
悪いことが起こるのも同じ仕組みです。どこかでしているマイナスの行いが原因で起きているのです。
波動や精神レベルは目には見えません。
また、「これは、あのときのあの行動が原因だ」と、はっきり結びつけるのも難しい事です。
自分のしたことがすぐに跳ね返らず、しばらく経ってから跳ね返ってくることもあります。時間が経つと、ますます、自分には関係のない偶然のように感じるでしょう。
でも「偶然」はありません。
その証拠に、自分の身のまわりでプラスのパワーをためてみると、いろいろなところで、不思議と運の良くなるのを感じます。時間のずれはあっても、どこかで跳ね返ってきていることがよくわかるのです。
浅見帆帆子さんのブログ
http://www.hohoko-style.com/
2011年03月04日
ニーハオ!
ハッピーレシピを中国語に訳してくれたタクちゃん
Slow CAFE ずくなしで隣の席になったときの写真
これでハッピーレシピは現在、日本語、英語、ロシア語に中国語が加わり4カ国の言葉に
どんどん広がる言葉の魔法
これか楽しみです
☆コピーなどもご自由にどうぞ
押しつけなければなんでもオッケー
自分の部屋や身のまわりを掃除することができなくて困っているこの頃です
タグ :ハッピーレシピ
2010年01月26日
ハッピーレシピ
☆ハッピーレシピ☆



























watching TV robs you of time






幸せは感謝から
http://happybirthcafe.naganoblog.jp/e766379.html
ハッピーレシピ誕生物語
http://happybirthcafe.naganoblog.jp/e381313.html
英語ハッピーレシピ
http://happybirthcafe.naganoblog.jp/e388528.html
中国語ハッピーレシピ
http://happybirthcafe.naganoblog.jp/c23062.html
ハッピーレシピ新聞デビュー
http://happybirthcafe.naganoblog.jp/e660556.html
タグ :ハッピーレシピ
2010年01月23日
英語ハッピーレシピ



ハッピーレシピの英語バージョンを書いてくれたのあちゃん

製作中の絵本『ママの休日』の主人公でもあります
現在、彼女は9さい。ヴァイオリンが上手で、けん玉は一級の腕前。
のあちゃんのパパは親友でママは高校の後輩です
英語の塾の先生をしているママにハッピーレシピの英語訳をお願いました。
すぐに英訳開始。外国の友人にメールで送り、すこし修正してもらって英訳が完成☆
それをのあちゃんがかわいく書き上げました。
のあちゃんは完成した『Recipes For Happiness』を自分の通っていた幼稚園に持って行きました。園長先生はとっても喜んでくれたそうです。
のあちゃんには英語バージョン製作のお礼に珈琲セット一式をプレゼント
パパやママにコーヒーを入れてくれるそうです
僕が遊びに行った時、のあちゃんがコーヒーをいれてくれました
なんだか自分の子供にいれてもらっているみたいで心から癒やされました
それから数ヶ月たったあと‥
なんと幼稚園の卒園式でハッピーレシピが配られたのです!
その話にのあちゃんとみんなは大喜び
のあちゃんの『Recipes For Happiness』は世界にひろまるかわいい幸せです

2010年01月10日
ハッピーレシピ出現

『ハッピーレシピ』は2008年長野県の白馬岩岳スキー場の従業員食堂のドアに突如出現しました。
当時、このように生きてみたいと思う理想がありました。
ひとつは『雨ニモマケズ』、もう一つは浅見帆帆子さんの本の中にある箇条書きでした。
http://happybirthcafe.naganoblog.jp/e721175.html
これに以下を足しました。
☆テレビに時間を盗まれない
☆自然の中で楽しむ
☆恵まれていることに気づいて感謝する。
その箇条書きに『パッピーレシピ』という名前をつけてみたのです。
それがハッピーレシピのはじまりです。
※注 書いた本人は意識はしていますが全くできていませんのでご了承ください