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2013年02月07日

茶道の教科書『茶味』⑵序





此不言庵は成蹊女学校の庭隅に建てられた粗末な茶室である。庵主は女学校主事の奥田文学士、この茶味の著者、従来の茶道を骨董家道具屋富豪の老隠居の専有から奪い、多忙なる社会の人士の日常に流し入れしむることが、現代社会の混乱状態に一転化を与える所以を主張されている。
それ故論所謂今日の茶道は認めず、ずっと昔に遡り、利休の心意気を学ぶべきよしを常に説かれている。
わづか六坪の小屋ながら、此処で主客二組十人がそれぞれ心を動かしてなお余裕がある。四季折々のあわれと共に、谷川のせせらぎ深山の斧の音も聞き得る。知足報謝の観念を養う外、
閑寂の境地を喧騒の都会の子に味わしむることは庵主に感謝せざるをえない。
今回教え子に伝えた響きをさらに茶味と題して広く一般人士に伝えることになったのは世の為にほんとに悦ばしいことと思う。

大正九年四月八日

中 村 春 二




大正九年『茶味』を初版を出していただいてか巳に二十六年、世の中は変わったが『茶味』はもとのままである。茶の話など不思議がられた人々閑寂の一味をすすめ、やがて生活の結晶として歓迎せされ、今や平和浄土の建設への任を負わせて改版校正に従う。変らぬ道が変わった世々に迎えられて感慨一入である。省みて謙虚な生活、事へてし思邪なき奉仕、交わって直心の露出、之にふさわしい身心はこの道に依て練るに在って誰知るに止ることではない。書いた文句は古いが別に改める要もない。且つ書けば一生に唯一巻と思い定めたことも今は実、書いた頃の理想の境も今は折々脚下に現ずる。歌学に精進しても一首の詠さえ遺されなかった紹翁の気持や、一椀の茶に真味あることのほかに覚えてとの休居士の述懐がしみじみと味われるのは、わが齢耳順を越えたによるであろうか。数奇の道とは本来不遇のものを不遇とせざる念を研くに至る。大燈国師の己事究明に開示に導かれ、二十年長養の垂範にあこがれて、霊光塔畔に参籠を重ぬる幾十度、我も亦二十年を養い得て、戦災の余炎に不言法母の二庵をゆだねたが、茶をのむ喜びは失わなかった今日この頃、『茶道とは』と云ってみたくも思う。併しそれは全生涯を以って語るべきもの、余命を尊びつつ只菅真境の円成を念願する。且坐喫茶の料として『茶味』、茶味以後の心境として『爐邊閑想』。後者は転載の御許を受けしもの、『茶はのむものなり仏にそなへ人にも施し我ものむなり』の帰結を求めて行脚偏参した思い出である。

昭和二十年十一月三日暁

正 造 誌






Posted by HAPPY BIRTH CAFE at 07:52│Comments(0)
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