衣食住遊 イセヒカリ 今日無事生かして頂いてありがとう御座います

2010年11月30日

イセヒカリの栽培特性

 平成8年4月22日、読売新聞が「伊勢神宮に新品種誕生、イセヒカリと命名」と特報記事を報じたことから、「稲籾を一粒でも分けて欲しい」という熱望が神宮に殺到した。神宮は皇大神宮御鎮座二千年記念事業として神社神田に限っての頒賜とされ、篤信農家への頒布は山口県神社庁で行われることとなつた。その種籾は、平成8年のものがあてられるのでまだ十分に選抜を経たものではなかったが、初めての作りにも拘わらず、「お伊勢さんの稲を作る」という農家の熱意はイセヒカリの品種的特性を見事に捉えた。

   「こんな作り良い稲は初めてだ」
   「この稲は、如何様にも作れる稲だ」
   「こんな美味しいコメは、生まれて初めて食べた」
  また
   「この稲は作る者の人柄が出る稲だ」と。
  それは、稲に対する農家の感性の鋭さを改めて知らしめることばであった。

 県内外の農家の要望に応えて山口県神社庁を窓口にイセヒカリ種籾が配布された平成9年度の作付では、この稲の栽培適性を知るために、その農家が作る主力品種(その県の奨励品種)との対比をみるアンケート調査がなされた。驚いたのはイセヒカリが収量ならびに食味値で殆どその県の奨励品種を上廻っていたことである。イセヒカリとは如何なる能力の稲か、今日までの栽培事例からその特性に関わる知見を列記して参考に供したい。

1  地域適応性
  関東以西に適し標高200m以下なら安心できる中生品種で、山口県での成熟期は「日本晴」か、その直前である。平成9年度の栽培は、北は宮城県桶谷町から南は鹿児島県大口市に及び、標高は長野県穂高町の600mが最高であった。宮城県ではササニシキに遅れること3週間、刈入れは雪が降る直前での10月31日、収穫は反当たり6俵(好天の年は10俵を記録)、長野県はまだ置きたかったが10月9日にともあれ刈り取り10俵を超えたという。今なお作られているところをみると、「お伊勢さんの稲」への信仰の力は、長びく作期にも耐えて、当初の想定をはるかに超えた北辺での作りの情報が毎年寄せられて来るのには心打たれる。

2  耐倒伏性
  耐倒伏性は他品種に較べて際立つ強さをもつ。山口を直撃した平成11年の18号台風(瞬間風速48m)、平成16年は度重なる台風直撃の中で、瞬間風速50.5m(山口市)にも耐え、なぎ倒された他品種を尻目に立つはイセヒカリのみであった。それは、イセヒカリが同一圃場に植えられたヒノヒカリに比べて茎太く、下位節間が短く上位節間で長く、また根群もコシヒカリなどに較べて1.5倍はある根の強さによるところである。この耐倒伏性の強さは機械化一貫作業体系下にある現在の稲作にあっては、稲品種として基本的に具備すべき要件である。

3  耐病性
  山口県内の試作経験を積んだイセヒカリ栽培者は育苗段階での防除の外は、本田栽培で除草剤一回使用のみで農薬散布を行っていない。消費者が求める低農薬栽培が労せずしてやれるということは、農業者が高齢化するなかで注目すべきイセヒカリの特性である。とは言っても、横尾先生がイセヒカリを診断されて、イセヒカリが特別なイモチ病抵抗性遺伝子をもっているとは思えないから多肥栽培は慎むことと助言されている。コシヒカリ・ヤマホウシなどに較べればイモチ病に対する抵抗性は確かに強いが、「日本晴」なみの「中」と考えて対応するのが無難とかんがえられる。
 イセヒカリの耐病性について特筆すべきは、平成平成10年度の西日本のウンカ大発生に対して、イセヒカリ栽培経験者はそれを無防除で凌ぐ者が多かったことである。隣接の田が坪枯れて無残にも腐っていくなかで、山口市朝田の宮成恵臣朝田神神宮司のイセヒカリは、二度の診断で防除の必要無しであった。収穫時1㎡ばかり色が変わっていたところがあったが反当たり9俵、食味値97の見事な収穫であった。イセヒカリがウンカにみせたこの抵抗性はこれまでの日本の稲品種にみなかったものである。注目すべき遺伝形質をもつ稲なのではないかと考えられた。
 
4  収量性
  他品種に較べて、茎太く下位節間で短く上位節間が長いと言うことは、収量性でも優れていることを示している。平成9年度のアンケート調査で、いずれの県にあってもその人が作るその県の奨励品種を上廻る収量をあげていて、最多収量は10a当たりで700kgを超えていた。成熟期が、「日本晴」かその前に来る稲という以外には、これという情報も無き初めての作りであったにも拘わらずである。農家は「作りよい稲」「如何様にも作れる稲」と知ったのである。
 耕種概要の事例を添付したもので作り方の参考とされたい。標高が高くなると、温度が上がってくるまでの初期生育がこの稲は鈍くなるので、元肥を押さえた作り方がよい。また倒れないからといって欲を出し、不用意に多収穫を狙って多肥栽培をすると、食べられたシロモノではない不味いコメになる。これはイセヒカリのもつ恐ろしさである。作りよい稲だが、食味を求める時代であり、窒素を押さえて作ることが大切。自在に作りこなせる如何様にも作れるこの稲の懐の深さを、良き方向で会得されることを願いたい。

5  食味値
  平成9年度、アンケート調査とともに行った食味計による食味値分析結果も、イセヒカリがその人の作るその県の奨励品種を超えていた。炊飯しての食味は、異口同音に「寿司米に向く」という。典型的な、かつての瀬戸内低温登熟の硬質米の食味である。よく作られたイセヒカリを正しく炊いた御飯を常食すると、外食は出来なくなること請け合いである。コメを洗わないで使う本格的な欧風調理でのパエリヤ、リゾットなどにイセヒカリはまた適合する。イセヒカリは日本の米であると同時に世界に通ずる米であるという山口イセヒカリ会の自負はここから生まれている。
 現在、山口イセヒカリ会に参加するメンバーのイセヒカリの食味値は、ニレコ食味計で、85%の者が80を超え、半数の者が90を超えている。これはイセヒカリを作り始めて以来、逐年食味値分析をしてその数値を各人に伝え、収量と食味のかねあいをみて、各自は自らの目標を設定し、各々納得のいくイセヒカリ作りに励んで来たからに外ならない。ちなみに山口県で作られている米の平均食味値は75~76である。
 イセヒカリを初めて作った時、有機栽培農家の食味値は1ランクあるいは2ランク落ちる傾向を示した。それはイセヒカリの根の強さに気付かなかったからと思われる。結果的に登熟後期にも窒素が効く肥培管理になっていたのだと推測された。
 コシヒカリ並みの少肥栽培をすると収量は平均反収ながら食味値は抜群となり、コシヒカリを凌ぐものとなる。そのコメは文句なく美味しいコメである。

6  畜産と連携
  畜産経営とイセヒカリ栽培の関係は注目に値する。イセヒカリは乾物での籾/藁比が低いことである。平成7年度の手探りによる四氏の試作で籾/藁比が長門町でコシヒカリ123に対しイセヒカリ96、美東町でヤマホウシ128に対してイセヒカリ104、熊毛町の1本植えでコシヒカリ134に対してイセヒカリ104であった。イセヒカリは収量も獲れるが、藁がまた素敵に出来るということである。これを一般的に肥料効率の稲ととらえるが、それは人間が食べるコメだけを頭にあいて稲をみている狭い捉え方で、畜産農家の立場は違った。和牛飼育農家がイセヒカリに目をつけない筈はなかったのである。倒れず無防除で安心できる藁を牛に給与出来るのであって。山口県で和牛農家が早くよりha単位でイセヒカリを導入したのはまさにこの点にあった。平成12年春92年ぶりに宮崎県・北海道で口蹄疫が発生したが、その感染経路として輸入藁の存在は否定できないとされている。
畜産経営の立場から畜産農家が熱い視線をイセヒカリに送るのは当然のことである。稲は地方で作る作物であって畜産農家と水稲耕作農家とのよき連携がとられるなら、日本農業はしっかりとした生産構造の上に構築されていくことになるであろう。イセヒカリは人にも家畜にも使い分けられる多用性をもつ稲品種であり、こうした認識はこれからの稲作を考える上では重要になるものと考えられる。

7  イセヒカリ純米酒用原料米
  イセヒカリ純米酒の開発は、平成10年度、山口県産業技術センターによってなされた。期待を上廻った見事な純米酒が得られ、「食べて良し、飲んで良し」の米はイセヒカリ以外にないと、山口県産業技術センターは県内酒造業界に紹介し、清酒の需要低迷の活路を「イセヒカリ純米酒」に求め、杜氏が自らイセヒカリを作り、その米で造るという動きとなった。現在6社でイセヒカリ純米酒が造られている。山口県の特産酒の地位を確立するかどうかは今後の発展にかかっている。
 面白いのはイセヒカリの個体選抜「系統番号5号」から出た変種の「密穂まるたね」に心白のものが見つかり、酒米としての適性に期待をかけて育種してみることになっていることである。


   


Posted by HAPPY BIRTH CAFE at 23:30│Comments(0)
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