2011年11月06日
イセヒカリからマイ品種を作ろう


小学校の頃にコシヒカリが長野の地域で広まりだした。
当時は祖父が稲を作っていた。親戚が手伝いに来たり、自分たちも行ったりしての共同作業が農業機械やお金の代わりになっていた時代。
収穫した米のなかの良いものが来年の種籾になり、その土地に馴染んだ先祖代々の米。
ブランドのような名前はないが歴史はある。
でも当時、祖父にコシヒカリを作って欲しいと言った。
コシヒカリとかササニシキがはやりだしたころだった。
祖父はコシヒカリは作りづらくてダメだと言った。
たしか倒れやすくてダメだと言っていた。
今となれば祖父の作った米は幻の米となってしまった。
おいしいとかまずいとかだけではないもの。
先祖の思いや歴史がその種と田んぼにはあったのである。
その米を食べて育ててもらった自分たち世代が次の世代にできることは何かを考えさせられる。
少し長いがマイ品種についての記事を紹介します。
時間のある時にどうぞ。
コシヒカリより美味い米
ーお米と生物多様性
佐藤洋一郎 著
「マイ品種」を作ろう
私はここでコメの、まったく新しい品種の作り方を提唱したい。「新しい」という形容詞は品種にかかわるのであって、作り方にかかるのではない。作り方は伝統的な改良法でいきたい。そして、その新しい品種とは、消費者と生産者とが手を組んで作る、言わば「手作り」の品種、「マイ品種」である。
まず、都会の消費者と農家が契約を結び、どんな品種をつくりたいか、話し合う。そのイメージができたところで、実際の品種改良を始める。例えば、京都市内の消費者が近県の農家と契約し、コシヒカリに匹敵する味を持ち、化学肥料はほとんど使わず、かつその農家の田に合う品種を作ろうと考えたとする。どのくらいの栽培面積が適当かは農家の経営規模にもよるが、現代のコメの消費量を考えて、消費者一家族あたり0・5反(約五アール)もあれば十分だろう。そして自分たちの手で人口交配も行い、また選別もいって、自分たちだけの品種を作るのだ。
コシヒカリな馴らされてしまった嗜好のことを考えれば、コシヒカリを片方の親とし、その土地に昔からあった品種をもう片方よ親として人口交配するのがよいだろう。もろん育成の途中でできたコメは自分たちで消費すればよい。最初はそれほどうまいコメができないかもしれないが、やりようによっては、なかなかのコメができても少しもおかしくない。
消費者は、年何回か、農作業の手伝いに出かける。むろん、日々の水管理などは農家の仕事である。消費者はできたコメを、農家が出荷する金額面プラスアルファルファで買い取る。それは決して安いものではないが、自分たちだけのコメという満足感、手作りの感覚、それに何より安全な食、という安心感が得られる。
その土地の生態系全体を考えても、まず、遺伝的多様性は高くなり、例えば冷害のような災害を被っても、全滅という最悪の事態は回避しやすくなる。
何より、耕作放棄地を減らしたり、過疎地の活性化というてんでもプラスになることが期待できよう。
人口交配のやり方
品種改良には、大きく二つの操作が関係している。一つは、新しい性質を満たす遺伝子を用意すること。そして二つ目はその遺伝子を持ったものの中から、品種としてもっともよいと思われるものを選び出すことである。昨今問題になっている「遺伝子組み換え」は、このうちの最初の操作に含まれる。だか、遺伝子組み換え以外にも遺伝子を用意する方法はいくらもある。もっとも古典的でそれでいて人類史上もっとも有効であった手段は「人口交配」という方法である。これは、もともとが「自家受粉」するイネには有効な方法である。なぜなら、通常のイネの品種では、コシヒカリの子はコシヒカリと見なしてもいいからである。
イネの人口交配を最初に行ったのは、高橋久四郎という技術者だった。一八九八(明治三一)年のことである。交配は、自然にはいくらも起きていた。「自然交配」である。Xという品種の花粉が、Yという品種のメシべに、自然にかかるのである。そうでなければ、品種の数はそんなに増えるものではない。しかし、自然交配では両親を選べない。「この品種に、こういう遺伝子を持った品種を掛け合わせたい」というときにはやはり、それなりの段取りが必要となる。
イネの受粉は通常、夏の日の午前中に起きる。緑一色だったそれまでの田んぼの色合いが、夏の盛りころになると少し変調をきたすのをご存じだろうか。
ほんの少し淡い色合いになったかと思うと、次の日には白いゴマ粒のような無数の斑点が緑の田の表面についたように見える。よく見ると、淡い色合いをしているのは穂先で、白い斑点は穂についた何十という籾のオシベなのだ。オシベは、昨夜までは、籾の中に丁寧に格納されていた。それが、朝の晴天につれて籾が開いたのを機に、いっせいに外に飛び出した。そのとき、オシベからは大量の花粉が飛び出し、籾の一番下部にあるメシベについたのである。
理屈のうえでは一個の種子を実らせるには一個の花粉があればよい。しかし、さまざまな理由から、めしべにつく花粉の量は通常何百倍、何千倍にもなるのだ。用のすんだオシベは、もはや籾の中に戻ることはない。
人工交配は具体的に次のようにする。まず、交配したいと思う品種XとYの株を一株ずつバケツに掘り上げてくる。面倒でなければ、最初からバケツで育てておいてもよい。両者の開花の日を揃えるには、ちょっとした工夫が要るが、日本の品種同士の交配ならば素人にでもできるほど簡単な操作ですむ。
明日には花が咲くという日の前日の夕方、どちらかの品種の穂を一本決め、数粒の籾を残して後はみんな切り取ってしまう。残した籾の先端二〜三ミリをよく切れるはさみでそっと切り取り、中に入っているオシベをピンセットで抜き去る。イネではオシベは必ず六本ある。この六本の全部を抜き去らないと翌朝残ったオシベから花粉が飛び出して自家受粉してしまう。ここが慎重を要する点である。ともかく、オシベに傷をつけないようにそっと取り出すのがコツである。処理した穂は、乾いてしまわないように、硫酸紙などで作った小袋をかぶせておく。
翌朝、もう一方の品種のバケツを横に置いて、花が咲くのをじっと待つ。天気がよければ、朝九時を過ぎるころから籾殻のつなぎ目が緩みだし、やがて中からそのオシベが見えるようになる。そのとき、ピンセットでその一本をそっとつまんで、昨日処理した籾の切り口のところで振ってやる。花粉が飛び散り、一部はその籾の中にもこぼれ落ちる。この操作を繰り返すわけだが、うまくいくと、籾に添えたほうの手の爪先は花粉でまっ黄色になっているはずだ。うまくいったら、また硫酸紙の袋をかけなおし、今度は風で飛ばないように虫ピンなどでしっかりと止めておく。
一週間ほどしてそっと袋を取り除いてみると、交配に成功したときには先っぽを切り取られた籾殻から、中の種子の先端の部分が見えている。初めて交配に成功したときの喜びは、何ものにもまして大きなものだ。大げさなに言うと、もの作り方の喜び、だろうか。
こうしてできた種子は秋に収穫して、翌春まで大事に取っておく。粗雑に扱ってスズメに食われるようなことのないよう、十分に気をつけてもらいたい。
品種の作り方
翌春、この種を播いてみよう。ここでも、スズメなどに食べてしまわれないよう、細心の注意を払ってもらいたい。幸いにして順調に育ったら、成長の記録をつけておくとよいだろう。できた子は、通常両親のどちらよりも旺盛に育つ。背丈もそうだが、「分けつ」という、株分かれの能力が旺盛である。もし両親が籾の色やその形など、いろいろな性質について違いがあるとき、子は両親の中間的な値をとることが多い。ごくまれに、子が両親にはない性質を示すこともある。とくに両親の縁が遠い場合には、例えば株の根元に、ほうれん草のような赤い色が着くこともある。両親はそうでないのに、である。しかし、同じ両親を交配してできた子をたくさん植えておくとわかるが、どの子もまったく同じ生育を示すだろう。
さらにこうしてできた種子を、よくシーズンに播いて育ててみよう。交配から一年半後のことである。なんと、田には、驚くばかりに多様な株が生えているのをみることができるだろう。背丈、葉の色、何から何まで実にいろいろで、同じものは一つとしてない。見かけだけではない。病気に対する強さからはたまたコメの味なども、一株ずつ違っている。
両親の組み合わせにもよるが、こうしてできた孫世代の株には、どうしてこのようなものができたかと思わせる、不思議なものがあらわれることもある。先述の、株の根元の色などもそうだが、中にはいつになっても花が咲かないとか、穂は出たのに種子がつかない、などというものもある。時には、苗代にいるうちから死んでしまうようなものも出てきたりする。しかし、そんなことはきにしなくてもよい。「これは」と思う株だけを残し、あとは捨ててしまってかまわない。これは、と思う株をいくつか選んだら、その種子だけを取っておいて混ぜて次のシーズンに播くことにしよう。
この操作を、二〜三年、繰り返す。操作を始めて三年目くらいからは、種を株ごとに取っておいて、翌シーズンはその株ごとに分けて田植えをする。よいと思う株を10株選んだとすると、翌秋には10種類の品種候補ができ上がる。候補ごとに炊いて味をみることもできる。米づくりに参加したみんなで品評会をするのもいいだろう。コシヒカリと食べ比べてみてもいい。この方法のよいところは、何より、できた「品種」がその土地や作り方によく合っていると考えられるところである。国などが行う品種改良は、試験場などの専門の機関で行なうが、そこがあらゆる土地、あらゆる田にあった品種を作れるという保証はない。むろん品種改良の専門家の目は相当なものでプロの彼らの目は実に正確である。しかしそれでも、あらゆる土地に合う品種などというものは存在しない。コシヒカリというたった一つの品種が、北は東北地方から南は九州にまで栽培されているということ自体、おかしいのである。
こうしてできた「品種」は、法律のうえでは品種ではない。前述のようにイネの品種は、種苗法という法律により、兼ね備えるべき条件が厳密に決まっている。この要件を満たさない限り、できた「品種」は、国を通して流通させることができない。しかし、それでもいいではないか。自分たちでつくり、自分たちで消費する分には何も問題はないからだ。もちろん、契約栽培してもかまわない。先にも紹介したように、イセヒカリの場合には、その全生産量が誰にも分からないくらいに広まっている。生産量が分からないのは国や県の統計に載らないだけで別に悪いことをしているからではない。
国ー地方ー個人の分担
ここで提案したような、民間での、それも個人レベルでの品種改良は今までも行われてきた。ただし先述のように、せっかく育成した品種も「品種登録」をしなければ、国の統計にも載らないし育成者としての権利も保証されない。むろん、都道府県の奨励品種になるという「地位」を確保することもできない。ただし品種は登録者するには、そのための出願をして審査を受け、これを通過しなければならない。新しい品種が要件を満たすとして登録されれば、イネの場合だと向こう二十五年間は育成者権が認められる。
むろん、考えようによっては、品種登録をしないことはそれほど不利なことではない。生産から販売、種子の管理などの作業が自発的に行なわれ、経済的にやっていける組織があり、当事者が納得していればそれでもよい。
翻って考えれば、品種改良はそれほど新しい技術ではない。国の力がなければできないと考えるのは大きな間違いである。そもそも、品種改良の始まりは農耕の始まりにまで遡る。そんな昔のことをもちださなくとも、江戸時代から明治初期のころのイネの品種はどれも個人の努力でできたものだった。そして、その品種は農家の集団によってささえられてきた。つまり日本の農業にはその時代から、品種を作りその品質を維持する技術と文化があったのである。
むろん、現代の品種改良はの技術には、遺伝子組み換え技術を含め、膨大な知識や技術の蓄積と大掛かりな装置を必要とするものが多い。これは国が主導して当たるべき事業である。しかしそうは言っても、今までに改良されたイネの品種のほとんどは、交配と、よいものの選抜という方法で作られてきた。どちらも頭脳と技術のプレーなのだ。
こうしたことを考えれば、大掛かりな装置を必要とする操作やその開発などは国の事業として行えばよいし、また実際、新しい品種を作ったりその品質を維持したりする作業には、もっと小さな単位ーーー極端なことを言えば自発的な農家の組織ーーーに任せるものがあってもよいのではないかと思う。
「山形在来作物研究会」でも、「山口イセヒカリ会」でも、そして「白毛もち」の組合でも、会の運営や種子の増殖といった技術面では国や県のサポートは受けていない。会は自立している。国や県は、今まで民間に品種の維持を任せられないと考えられてきた。しかし民間が持つ技術力は国や県が考えている以上に高い。
花の品種改良に詳しい玉川大学の山口聡さんも、園芸用の作物、とくに花などはマニアがいて、実質的に彼らが新しい品種作りをリードしていると言っている。そこはもう、完全に民間の世界なのだ。ここで「神力」種籾を生産した「平井村農会」を支えた人々の志を思い起こしてみよう。品種の管理を民間に任せるということは、何も今に始まったことではないのである。
コメについて言うならば多種多様な料理法に、一つの品種が適応するなどということは、そもそもあり得ないことである。「炊き立てご飯にシンプルなおかず」にマッチするコメが、カレーライス、寿司、おはぎ、パエリヤ、チャーハン、丼ものなどの多様なコメ料理のすべてによく合うなどということがあるだろうか。その意味では、コメを食べなくなったこと、それも多様な食べ方をしなくなったことが、一元的数値を受け入れる素地であるとも言える。そう考えれば、将来の品種改良に求められる新時代の品種とは、強いて言うならば、それぞれに合致する品種を作ることである。このことこそ、まさに「多様性」の論者たちが言うところの、「文化の多様性が生物多様性を担保する」という理想の姿なのだ。
これからの生産者は、環境問題やさまざまなことを考えながら、「マイ品種」を作ることもできる。一人でできなければ、地域の仲間とともに「私たちの品種」を作ってもよい。消費者やそのグループも、その品種作りやその品種を使った米作りに積極的に参加する。そうゆうネットワークが、たくさんできれば日本の米の品種は新しい時代に入るに相違ない。いや、現実にはもう、そうした試みが各地で始まっている。新しい時代のうねりはもうすでに起きているのだ。
これからの社会、つまり人口が減り、消費が縮小する社会にあって、多様な存在を作り出すことは一見すると合理性のない行いであるかに見えるかもしれない。しかし、地球全体の環境は、人類が少なくともここしばらく経験したこたのない不安定な時代を迎えようとしている。そして、不安定な時代を生き延びる有効な一つの方法は、多様な生き方と地方への知と技の分散なのではないだろうか。
おわりに
本当にうまい米のとはどんな米か。その答えは人により、また場合により違うはずだ。本書のタイトルである。『コシヒカリより美味い米』に込めた私の思いはそこにある。背負った文化は、一人ひとり違う。同じ個人でも、日々の生活の中で「今日」あるいは「今夜」食べたいコメが、昨日、あるいは昨夜食べたかったコメと違って何ら不思議はないのである。
二十世紀後半の日本は、比較的安定した時代だったと言える。国内では戦争もなく、自然災害もそれ以前の時期と比べて少かった。たしかに、伊勢湾台風をはじめとする大型台風は来た。阪神淡路大震災の被害も甚大だった。だが、あえて言うが、それでもそれでも総人口を大きく減らすような大災害ではなく、それまでの時代に比べてよい時代だったと言えるだろう。その時代に生きた私たちの持った概念が「持続可能性」だったのである。コシヒカリはまさに、「持続成長」の時代をを生きた品種であった。
一方、二十一世紀はこれとは反対の時代、つまり自然災害や人為的な原因による社会の混乱、生産の低下、社会システムの崩壊などが繰り返し襲う時代になるだろう。暗い予測だと思われるかもしれないが、今書いたように二十世紀後半が例外の時代だったのだ。コメで言えば、ポストコシヒカリの時代は、いろいろな変化に対応できるよう、さまざまな発想に基づいて作られた、たくさんの品種が並立する時代になるだろう。そうしておくことで、災害の被害を最小限にとどめることができるであろう。
ー中略ー
本書をお読みいただいたすべての方々に、コメの将来についてお考えいただければとねがっている。
2010年五月
京都・銀閣寺の自宅にて
佐藤洋一郎
こうして読んでみるとマイ品種をつくるのは大変そうです。
イセヒカリならこのような人口交配しなくても高い確率で変種がでてくるようです。
マイ品種を作るならイセヒカリがいいのかもしれません。
これからもしかしてTPPなどに参加することになったりしたら遺伝子組み換えの米が日本に入ってくるかもしれません。
でも米だけは絶対に欧米につ支配されてはいけない。
何らかの状況変化でもしコシヒカリが作れないような環境になった時に遺伝子組み換えの米が日本に広められる。
毎年種籾を買わなければなくなる。
自殺する種と除草剤とのセット販売。
ぜったいにいやです。
ここでもう一度イセヒカリの復習を
知られざる「次世代の稲」イセヒカリhttp://homepage.mac.com/saito_sy/isehikari/H1706isehikari.html
イセヒカリは高変異性の稲
http://happybirthcafe.naganoblog.jp/e611887.html
イセヒカリが平成元年に伊勢神宮の御神田に現れた意味は佐藤洋一郎さんの本のタイトルにもある
お米と生物の多様性
にあるとも思う。
自分のブランド
自分の価値観
自分の思い
そういったものを一人ひとりがしっかりと持ち、また他人も自分と同じように尊重する。
人との違いを楽しむ
米もコーヒーも人も違うから面白い
それが存在価値となる。
Posted by HAPPY BIRTH CAFE at 12:00│Comments(0)
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