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2012年08月25日

化学肥料はどこから来たのか



化学肥料はどこから来たのか

長野県農業大学校という学校を卒業したが、化学肥料や農薬がどのようにして誕生し、何の目的で広められたのかは知らなかった。

そんなことを疑問にも思わなかった。

疑問に思い調べてみると歴史や経済と農業はつながっていた。
化学肥料とは自動車産業などから出た産業廃棄物が窒素肥料として農業で使われることになった。
その結果、微生物が死んで根が弱る。
根の弱った植物は病気になる。
虫は病気の作物を土に返そうとして分解を始める。
その虫を害虫として農薬を使う。
ますます土が死んで植物は弱り、それを食べる人間も病気になるという悪循環。
それが現代の農業だった。
さすがにこの状況は何とかしなければならないと思う。

化学肥料について詳しく書かれている本の一部のを抜粋します。化学肥料のことがよくわかります。



『野菜が壊れる』
新留勝行 著

化学肥料はどこから来たのか

今世界の至るところで土壌に異変が起きている。経済発展を支えた石油産業が産み落とし、かつては夢の肥料として歓迎された化学肥料がもたらしたのは、実は自然の連鎖が破壊され、生産力を失った農地。そこにさらに大量の化学肥料と農薬が投入され続けた結果、見かけは美しくとも中身の壊れた野菜、疲弊する家畜、それらの加工食品が、食の安全と人びとの健康を脅かしている。でも、まだ間に合う、今しかない。ほんものの農業と生産物の復活のための、再生の道すじとは。


化学肥料の普及は国策でもあった

「農業について研究する農学者がいるのに、どうしてこんなに悪循環にはまってしまったのだろう?」。当然、そういう疑問がでてくるでしょう。
実は、化学肥料の普及には国策が大きく影響しています。農学者が意見できる状況ではなかったのかもしれませんし、また意見を申し立てた農学者は道を閉ざされたのかもしれません。それによる影響を考えると悔しい思いはありますが、ここで彼らの非を責めるのはフェアではないでしょう。ともかくいま、大学の農学部でおこなわれている土壌学、植物生理学の授業においてさえ、
「どのようにしたら植物が健康に育つのか」
「なぜ作物に虫がつき、病気になるのか」
「作物につく虫ははたして人間にとって有害なのか」
などという基本的な事柄について、十分な説明かなされていないのが現実です。ましてや、農家にそのような指導がなされることはほとんどないに等しい状態です。
それでは、なぜ化学肥料が国策だったのか。化学肥料は戦後日本の高度経済成長を支えた自動車産業や石油化学産業と密接に結びついていた存在だったからです。
ほぼ100%有機農業がおこなわれていた戦前にも、化学肥料は作られていました。というより、硫安は、戦前の化学工業の花形でありました。ただ、高温・高圧で窒素と水素を圧縮しアンモニアを生成するこの時代の製造方法はコストが高く、裕福な農家でなければ化学肥料は買えませんでした。
そして、化学肥料を中心とする化学工業は、つねに爆薬の製造と結びついていました。アンモニアを酸化させると、硝酸というより火薬のもとができるからです。
例えば、1942(昭和17)年、中国の三西省にできた「華北窒素」という会社がありました。国の要請を受けて、日本窒素肥料株式会社(日窒、現在のチッソ株式会社の前身)が設立したものです。中国最大の科学工場になる予定でしたが、プラントの建設中に日本は敗戦を迎え、幻のプロジェクトになりました。勤務していた人は、当時、「ダイナマイト製造を予定している」ときいたそうです。ちなみに、日窒をおこした野口 遵は、そのまえにドイツの電機メーカーであるシーメンスの日本出張所に勤務していました。シーメンス社はカーバイド(おもにさんがカルシュウムとコークスからつくる燃料をさす)から窒素肥料をつくる特許をもっていましたが、野口はこの特許を実施する権利を買っていました。その後、日窒から現在の信越科学工業や旭化成といった化学メーカーが生まれ、野口は、化学肥料製造販売の草分けともいえる存在となりました。


外貨を稼げなかった戦後

敗戦後、最低の国力で新たな国際競争の場に立たされた日本には輸出するものが少なく外貨を稼ぐ手段が不足していました。せいぜい戦前に武器製造とともに育った化学肥料産業があるくらいです。しかし、戦争中に火薬をつくるのならコストは問われませんか、国際競争となれば話はちがいます。大幅に原価を減らす必要がありました。
自動車はすでに国内生産していましたが、アメリカやヨーロッパの車にはあらゆる面ではるかに及びませんでした。ボディの鉄板も粗雑で、数年乗ると穴があいたりしてボロボロになってしまいます。当時アメリカで目にした日本の車は見るからに貧相でした。潮風があたる地域などでは、ひとたまりもありません。
「錆びる」というのは、鉄が空気に触れて酸化する現象です。酸素は、いろいろな物質から電視をうばう働きをもっています。「燃える」という現象も、炭素化合物が酸素に電子奪われ、二酸化炭素と、水に変化する反応です。
鉄の錆を防ぐには酸素に触れさせないように、塗装という方法がとられます。ところが、製造中に酸素に触れて、鉄の電子で酸素に結合しているものがあると、「中錆び」とよばれる、塗装していてもなかから錆びて腐食する現象が起こります。それが、戦後間もない日本の技術の水準でした。
しかし、当時の日本人は、勤勉でまじめで熱心に、国の威信を背負って取り組みました。そしてついに、ぎりぎりまで薄く、さらに錆びない鉄板を考案したのです。研究は、鋼鉄王手Y社を中心にすすめられて居ました。
筆者はその鉄板のつくられる様子を、製鉄会社の映像で見ました。
溶鉱炉から薄い鉄板が流れてきます。それを重油の中から液体として抽出した硫酸アンモニウムで洗浄して固めます。どろどろした真っ赤な鉄板が流れてくる寸前から、スプリンクラーで噴霧を始め、硫酸アンモニウムの霧の中を鉄板が通過します。
おそらく溶鉱炉から出てくるその瞬間に硫酸アンモニウムで洗浄しながら固めれば、硫酸と酸素が反発して酸素が鉄に入り込めなくなるのでしょう。硫酸アンモニユウムで濡れた鉄板はロールで巻かれ、自動車のボディとなるべく、出荷されていきます。そのさきでカットされ、プレスされ、シンナーで洗浄して塗装されます。来れなら、工程のどこにも、酸素に触れる場面ができません。
鉄板が薄く、軽く、錆びない、つまり燃費がよくて耐久生のある車は、高い競争力をつけることになりました。


化学肥料を使ってくれないと困る人々

ここで問題となるのが、散布された硫酸アンモニウム液の処理です。不揮発性の硫酸と結合しているため、アンモニア単体とちがい、まったく蒸発しません。それで、石灰を使って固形化します。
農業で肥料として使う硫安は、化学肥料名が「硫酸アンモニア」であり、硫酸アンモ二ウムという物質的です。ここで硫安と硫酸アンモニウム液が農業と自動車業界が結びつきました。

●自動車産業で排出された硫酸アンモニウムが農業で肥料としてつかえるなら、化学肥料が低コストでできる
●低コストでできる化学肥料は国際的に競争できる輸出品の目玉となる
●鉄鋼業界・自動車業界団体としては、産業廃棄物を処理するコストがかからないばかりか、農家に売って利益にすることができる

こんなうまい話があるでしょうか。まさに妙案中の妙案。一石二鳥ならぬ一石三鳥。薄く、軽く、錆びない鉄板をつくるという発想から生まれた奇策ということになります。
すでにおわかりのように、一石三鳥のアイデアは現実になりました。自動車産業の産業廃棄物は、安い窒素肥料に生まれ変わって農業で使われました。産業廃棄物はコストとなるどころか、農家がカネをだして買ってくれる商品となって、鉄鋼・自動車業界を潤したのです。言い換えれば、日本の戦後の経済発展に、化学肥料がひと役買っていたわけです。鉄鋼会社やセメント会社にはいまも、肥料をつくる部門があります。
かつて私は、ある旧財閥の六代目当主と、4時間に及ぶ会議をしたことがあります。ここで書いたことは、非公式ながら確認できたものです。
溶鉱炉といえばものすごい高熱なのだから、そこから出てくるものであれば、害もないように思えるかもしれません。けれども、予想を超える大きな影響があったのは、ここまでみたとうりです。現場では、この過程での硫酸アンモニウムは、単に「希硫酸」とよばれています。鉄鋼会社のたいていの社員は、「溶鉱炉から副産物として出てきたものを化学肥料として製造・販売している」ところまでは理解していても、それが日本や世界の農業、生態系、ひいては私たちの食卓に重大な危機をもたらしている原因となっているとは夢にを思っていないでしょう。
この方法はまたたく間に広がり、化学工業の発展とともに、ほかの科学産業で副産物として出た硫酸アンモニウム(副生硫安、回収硫安などとよばれる)もまた、農業に投入されるようになりました。そのままでは「自動車の排気ガス」のような存在が、次々と窒素肥料としめ出荷されました。
『日本硫安工業史』によれば、1954(昭和29)年にはすでに硫安の生産は290万トンに達し、輸出が必要となりました。とくに合成繊維の原料用アンモニアは、大量の硫安のを生み出しました。硫安生成を抑える技術がさまざまに開発されている現在でも、ナイロンなどの原料となるカプロラクタムを1トンつくるのに、回収硫安が4トンも出るのです。これを産業廃棄物として処理しなければならないことになっていたらたいへんなコストがかかったはずです。
日本経済は、敗戦の混乱の中から世界が驚くような勢いで発展しました。石油化学を使ったさまざまな産業が発展したわけですが、その過程で化学肥料は、なくてはならない存在でした。農家に化学肥料を使ってもらわなければ困る人々や業界がたくさんあったのです。

以上抜粋

この状況を根本的から変えるには麻しかない。

大麻取締法が撤廃されたら
http://tenkataihei.xxxblog.jp/lite/archives/51817882.html






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Posted by HAPPY BIRTH CAFE at 16:42│Comments(3)百姓
この記事へのコメント
幸喜くん、お久しぶりです。
化学肥料、確かに問題ありですね。
化学肥料=窒素、リン酸、カリウムです。元JA職員の私ですが、とても疑問点はあります。
最近、35年ローンで家を購入して、畑を作ったのですが、土作りにはとても気を使いました。
今年は鶏糞と卵のからだけで、土作りをしました。
埼玉に遊びに来るときがあれば、是非と我が家にお寄りください。

ちなみにわが息子は今日で五ヶ月になりました。タイジュウ、8キロです!
Posted by はらたつ at 2012年08月26日 16:28
>たっちゃん
お久しぶり( ̄▽ ̄)
家と畑いいね。
子どもには土に触れさせてあげたいよねー
土作りにおすすめの記事をアップしたので見てみてー
すごく参考になるよー
Posted by HAPPY BIRTH CAFEHAPPY BIRTH CAFE at 2012年08月26日 19:15
先日は、ケーキとうさぎの素敵なお皿をありがとう!! 顔出してくれるだけでも、うちの両親は嬉しいみたいょW

みんなでケーキ美味しく戴きました☆


ここのブログ貼らせて貰ったなり。


そして、浅川まさとみ氏面白いよね!うさぎも龍系の本買って読んだの!著者はいいけど、中にイカレテル神社のおじさんの写真ない?うさぎ、怖くて、怖くて、本は面白かったけど・・・。現在は、まさーんてぬぐいで包んで閉まってるの(>_<)
Posted by 松木農園松木農園 at 2012年09月19日 13:11
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