2011年03月07日
コシヒカリより美味い米 ーお米と生物多様性
「まぼろし」のイセヒカリ物語
山口県などを中心にして、一部の県に「イセヒカリ」という名のイネの品種がある。ただし、法的にはイセヒカリは品種ではない。というのは、イセヒカリという名前で品種登録がおこなわれていないからである。しかし、イセヒカリは、現実に流通している。
イセヒカリは、山口県下では高値で取引されている。消費者の人気も高く、イセヒカリを栽培する農家では田植がすんだ瞬間、買い手がついてしまうという。まさに「青田買い」の状態である。そのほとんどは県下の有名温泉旅館などに引き取られており、一般にはなかなか流通しない。このことがイセヒカリを「まぼろし」のコメにしているようだ。
イセヒカリとはどんな品種で、どんな経歴をもつのか。イセヒカリの詳細は、「山口イセヒカリ会」の岩瀬平代表が詳しい。岩瀬代表は、イセヒカリの歴史についてこう語る。「イセヒカリという品種はもともとは三重県の伊勢神宮のご神田で出たイネでした。発見された一九八九(平成元)年は台風で、ご神田のイネはみな倒れたそうです。むろん、コシヒカリも倒れた。しかし、そのコシヒカリの中に二株だけ、倒れないものがあった。それを大事に取り出したのがイセヒカリのもとになっています」
八〇歳を超える岩瀬さんは、背筋をピンと伸ばして答えてくれた。岩瀬さんは、今も、月始めには近くの神社にお参りを欠かさないほどの熱心な神道家でもある。その岩瀬さんのもとへ、伊勢神宮からイネを診てほしいと五株のイネ株と三束の穂が送られてきた。一九九五(平成七)年秋のことであった。岩瀬さんは県内4人の農家にその試作を依頼した。岩瀬さんは県の農業試験場長の経歴をもち、その経験から、このイネの持つ実力を見抜いていた。ただし、試作では、このイネは品種というには揃いが悪かった。そこで、試験場の職員であった吉松敬祐さんを担当者としてちゃんとした品種に仕上げようとしたのである。
しかし、山口県はこのイネを品種として登録しなかった。その理由は定かではないが、おそらくは、品種改良の専門家の目には「手に負えないイネ」と映ったからだろう。
そこで岩瀬さんと吉松さんは「山口イセヒカリ会」という会を組織し、自力でこのイネを品種に仕立てる事業に取り組んだ。そして八年を経た二○○三(平成一五)年、子孫の中から一つの系統を選び出し、これを「山口イセヒカリ 」としてその種子一○キロを育種家種子として保存することとした。種子は、会で購入した冷蔵庫に保存され、毎年一○○キログラムをとって原原種として使う予定という。向こう一○○年を見越した壮大な計画である。そしてこの原原種とそれを増殖した原種の種子は「会」が有償で関係農家に配布している。なるほどうまく考えられている。ここでも種子を作る「種場」は民間経営なのである。
イセヒカリがもてはやされるわけ
ところでイセヒカリはどうしてこうも人気が高いのか。調べてみると、イセヒカリの人気の秘密がおぼろげながら見えてきた。先の岩瀬さんは、イセヒカリの魅力を以下の4点にまとめている。
(1)茎が太く倒れにくいこと。だから機械化栽培にも適する。機械化栽培がこれから先、いつまでもてはやされるか分からないが、少なくともここしばらくは受け入れられるだろう
(2)イモチ病に強いこと。コシヒカリはイモチ病にきわめて弱いので農薬が欠かせなかったが、イセヒカリはイモチ病に強いので、消費者が求める「無農薬栽培」に向いている。
(3)肥料をやればそれに応えて収穫を増す力を持っていること。
(4)しかし、昨今のように肥料を減らして栽培すれば、その食味はコシヒカリを超えるとも言われること。とくに冷えてからのうまさは他の追随を許さないと言われる。このように見てみると、イセヒカリは、農家、消費者の双方から受け入れられる特性を持っているというわけだ。今までの品種は、消費者、生産者の一方からは受け入れはしたが、双方に受け入れることはなかなかなかった。コシヒカリでさえ、消費者の絶大な支持を集めはしたものの、生産者からは作りにくい品種との評価を受け続けてきたのだ。
焼畑農業と直播き
世界のあちこちには、焼畑と呼ばれる、火を使った原始的な農業のスタイルがあった。とくに東南アジアの山地部には古いスタイルの焼畑が残されていて、今も焼畑農業で暮らしを立てている人びとがいる。
ところが、この焼畑農業に非難が集中した。焼畑農業が森林を破壊し、しかもそのときにひを使うから、というのがその理由だ。焼畑が二酸化炭素を排出するという「的外れな」非難だった。しかし、最近の研究は、焼畑が必ずしも森林破壊の元凶でもなければ、二酸化炭素の量の増加につながるわけではないことを示している。むろん、熱帯で、大面積の森林を一度に焼き払い、大規模なプランテーション農業を展開し、あとはそのまま放置するといった破壊的な農業をやれば、深刻な環境破壊をもたらすであろう。しかし、それは伝統的な焼畑とは無縁のものである。
伝統的な焼畑では、開いた土地はやがては休耕というかたちで森に帰される。焼くという行為は確かに二酸化炭素の排出をもたらすには違いないが、そのとき大気中に放出された二酸化炭素は、その森の植物たちが数年、数十年という時間のあいだに大気中の二酸化炭素を吸収してデンプンなどのかたちで体内に蓄えたものである。その意味で、はるか昔の植物がはるか昔の二酸化炭素を吸収して作られた石炭や石油など、いわゆる化石燃料を燃やすのとはわけが違っている。
しかし東南アジアをはじめ世界各国では、農民たちに、焼畑をやめて一カ所に住み着いて農業をするように勧めている。私が長く研究フィールドにしてきたラオスでも、政府は焼畑農民に焼畑をやめて定められた水田での稲作を強く勧めている。焼畑の農業は耕作と休耕を繰り返して行う。だから焼畑農耕は「移動する農業」だ。一方、水田の稲作は、もっぱらその土地で営々と作り続ける「常畑」となる。
しかし、常畑に移ることが焼畑農業よりよい結果をもたらすといえるのだろうか。常畑ではどんどん痩せていくから、外から肥料分を補う必要がある。おそらく、化学肥料を使うことになるだろう。
もう一つの問題は雑草である。焼畑はそれを、休耕というかたちでしのいできた。常畑では、増えていく雑草を何らかの方法で取るしかない。現代の農法では、除草剤を使うことで問題を解決しようとしてきた。病気や害虫が発生すれば、それも農薬で対応してきた。
常畑の稲作では欠かすことのできない化学肥料と農薬は、石油からできている。その生産には大量の電気を必要とする。発電にはかなりの量の石油を消費する。そしてできた製品は石油を使って運ばれる。つまるところ、常畑での稲作は、完全な石油依存型の農業なのである。
このように比べれば、焼畑の稲作は決して環境にわるいばかりではない。トータルに考えればむしろ化学肥料や農薬を使う水田稲作より、環境に対する負荷が小さい可能性さえある。とくに先に述べたポスト石油時代には焼畑は学ぶべき農業のスタイルの一つではないかとも思われる。
コシヒカリは、他の水田用の品種と同じく、焼畑農業には適さないらしい。一般に、コシヒカリを含めた水稲は、焼畑の畑ではろくに育たない。私も一度、国立遺伝学研究所で、研究用の畑ののり面の草を焼いて、そこに焼畑の品種と水稲の品種を混ぜて植えてみたことがある。焼畑の品種は、ラオスのルアパバン近くの農家が持っていた陸稲品種「L6」、水稲品種は、台湾で育成された「台中65号」という品種だ。「L6」は私が付けた品種番号で、現地の農家がこの品種をそう呼んでいたわけではない。台中65号は台湾で育成された品種ではあるが、その親は「亀治」と「神力」であり、系譜上では完全に日本の水稲品種である。
実験は、生える草を春先に焼き払った斜面にいっぱい
小さな穴をあけ、そこにL6の種子と台中65号の種子を同じ数だけ播きつける、というごく簡単なものだった。予想では、なんとか両方育ち、陸稲品種L6のほうが水稲品種台中65号より生育はよくなるはずだった。しかし、実験はみごとに「失敗」してしまった。秋になると、斜面の草原に、息も絶え絶えになったL6が数株残るばかりで、台中65号の株は一つとして残っていなかった。一品種ずつの実験だが、両品種の差は水稲と陸稲の違いと見ていいだろう。水稲は、極めて特殊な環境で育つように進化してきたイネだ。畑という環境は台中65号に限らず、水稲には実に厳しいものだったと思われる。
直播きの稲作
今、注目を集めている新しい技術の一つが直播き。つまり苗ではなく、種子を田んぼに播きつける方法だ。田植は、どんなに短く見積もっても二000年来の技術革新ということになる。
しかし、それだけに課題も多い。田植という技術は、一つには雑草に対抗するための技術でもあるとも言われる。稲作技術史の中で最大の発明の一つと言われる除草剤を見ても、田植えを前提に開発されたものなのだ。もし直播きが広まると、これに合った除草剤や除草法の開発が求められる。
品種についても、異なった性質のものが求められる。あいにく、コシヒカリは直播きには適さない品種と言われる。コシヒカリを含め、今の品種はどれも、田植えという方法を織り込んで育成されてきたからだ。むろん品種改良のプロセスでも、田植えは行われてきた。直播きに適する品種を作ろうと思えば、直播きの環境下で一から改良を行うことが必要になるだろう。
以上が読んでみて気になったところです
去年イセヒカリで陸稲と直播きを実験的にやってみました
が実りました
http://happybirthcafe.naganoblog.jp/e588510.html
Posted by HAPPY BIRTH CAFE at 11:25│Comments(0)
│百姓