衣食住遊 イセヒカリ 今日無事生かして頂いてありがとう御座います

2011年08月29日

学校給食と地産地消


小学校二年生の時に書いた大作『きゅうしょく』
上手な字は担任の先生。
当時の学校での楽しみはドッヂボールと給食だった。

そんな大好きだった給食だったが、どのようにして誕生したのかまったく知らなかった。
食べられることはなによりありがたい。
しかし学校給食を調べていくといろいろな問題がみえてくる。
学校給食のシステムが子どもを病気にして日本の食文化を壊していたのだ。

ごはんはえらい!より


第二次世界対戦中 アメリカはヨーロッパに小麦を輸出していた。
ところが戦争が終わるとヨーロッパでも小麦を作り始めたのでアメリカの小麦は必要なくなったので、在庫を抱えて困ったアメリカはは日本の戦後処理と小麦問題を解決するために食糧で日本を支配してコントロールしようとした。

日本民族は非常に勤勉で精神性も高く優秀だったので、それを脅威に感じたアメリカはは日本を占領中に骨抜きにしようと次のような対日戦略たてた。
①軍事的に自立させない。
②政治・経済・情報・エネルギー・文化・食糧において自立させない。
③3S政策(スポーツ・セックス・スクリーン等の娯楽によって日本民族の高い精神性を崩壊させる

この食糧の分野で小麦粉と牛乳を日本に売りつけ日本人にパンと牛乳で日本の食文化を破壊しようとしたのだ。
初年度は小麦を100%タダで日本に贈与した。そして1年ごと25%ずつ贈与を減らす。しかし減らした分は日本に実費で買い付けさせた。
ただし、日本人は腹が満たされればまた米飯に戻るかもしれない考え徹底的に日本の食生活を変えようと考えた。

そこでアメリカが目をつけたのが学校給食。
小さい頃から子どもたちにパンを食べさせてパン食を普及させてパンにあう肉や乳製品も売り込むため、日本人の食生活を米飯中心から粉食混合に変えるべくアメリカのプロジェクトが実行されることになる。
①パン食を広めるキッチンカー
②パン職人の養成1956年(昭和31年)全国200会場で1万人もの職人がアメリカ式のパンの作り方をおそわった
③パン祭り 飛行機から無料券のビラをまいた。「日に1度パンを欠かさぬ母の愛」という看板をつけた宣伝トラック隊がパレードをした。
④そして学校給食 1950年(昭和25年)2月開始

キッチンカーはアメリカの資金援助で保健所・学校・果ては農村に至るまで小麦食を吹聴して回った。
さらに原発と同じように御用学者を使いお米を食べるとバカになるというデマを広めた。
小麦業界も「お米を食べるとバカになる!」というパンフレットを何十万部もばらまいた。
今でも頭脳パンなどと言う名前のパンが売っているのはその名残だろう。

1954年(昭和29年)に学校給食法が制定されパンと脱脂粉乳の学校給食が始まり97年(平成9年)に現文部科学省が「週2回の米飯給食」の方針を決めるまで実に40年以上もパン食が続いた。
その結果、アメリカの思惑通り日本の自給率は下がり稲作農家も減少していく。

日本は第二次世界大戦後の短い時間でご飯と野菜の伝統的な食生活からパンと肉と乳製品の洋風の食生活へ変化した。
その結果、体格は良くなったが肝臓や心臓そして腎臓に負担ごかかりガン・脳の血管障害・心臓病・腎臓病が増えた。
昔は成人病と言われていた病気が子どもにも増えてきて生活習慣病と呼び名が変わり、アレルギー疾患が増え気管支喘息、アトピー性皮膚炎になる子どもたちが増加した。

市販のパンの中にはショートニングという油や白砂糖それにイーストフード・PH調整剤・乳化剤・保存料などの添加物が含まれている。
さらに問題なのは輸入小麦にパンの添加物より毒性の強いポストハーベストという収穫後に散布する農薬が使われていることである。


これが大好きな給食の歴史だった。
食べ物の選択ができない子どもたちに自国の過剰作物を売りつけ日本独自の食文化を破壊して食糧で国を支配する。
このようにして学校給食が始まり今も続いているのである。
学校の先生や子どもの親また給食を作っている人や栄養士の方はこの事を知っているのだろうか?
今の時代において知らなかったではすまされない。
いのちの問題なのだ。
今日、子どもたちが食べる給食もその当時の政策のもとで作られている。
誰かが変えなくてはならないがそれを政府に望んでもしょうがない。
自分たちで変えるしかない。


各地で主婦層を中心とした食を見直す活動が活発になってきている。
地元の長野県でもたくさんの良心的な活動に出会う。
このようなところによく参加したり行った。
オーガニック食品店やカフェ、レストラン
米飯給食をすすめる幕内秀夫さんの講演会
マクロビなどのお料理教室
横山タカ子さんの講演会
生活クラブ
循環農法の赤峰さんの講演会
自然農業塾などなど

みんな現状に危機感をもって真剣に考えて行動している。
テレビの世界には希望はないが周りを見ていると未来に希望が見えてくる。

きっと全国区各地にもこの様な動きは活発になってきているかもしれない。


そこで提案!
まずは学校給食をパンからお米に変える事を共通の目標にしてみてはどうか。

幕内秀夫さんが完全米飯給食を提案している。
新潟の三条市ではそれが実現している。
長野県も見習うべきだ。
今の時代に市民会館立て直しとかダムとい言ってる場合じゃない。
土建屋さんの顔色をうかがうよりも農家と子どもである。
まずは給食を変える。
農協も黙ってないで学校給食を米にしろと発言してほしい。
自分たちの地位がこのまま続くと思っているのだろうか。
このままでは農家がいなくなり農協も力を失う。
TPPはどうなる。外国の穀物メジャーが日本の農業市場をねらっている。
農家が農協の言うことに従っているうちに動いたほうがいい。

学校給食を外国の小麦から地元農家の米を使う完全米飯給食にして子どもと農家を元気にする。

地産地消は学校給食から始める。

これが日本の再生の第一歩。


安全なごはんを子どもたちに食べさせてあげるのは大人の義務である。

きゅうしょくは。
うまい。
さいこうだ。

給食いつの時代もこうであってほしい。


戦後に日本が失ったもの
http://roronotokoro.blog113.fc2.com/blog-entry-164.html


世の中を変えるパワーをもっているのは女性
マネーカルト脱出戦略
http://tamekiyo.com/documents/original/20110808.html







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Posted by HAPPY BIRTH CAFE at 08:20│Comments(0)自然回帰
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