衣食住遊 イセヒカリ 今日無事生かして頂いてありがとう御座います

2012年06月12日

世界の終わりとハードボイルドワンダーランドのイタリア料理



世界の終わりとハードボイルドワンダーランドより抜粋

「今度聴いてみる」と言ったが、そんな暇があるものかどうか私にはわからなかった。時間はあと十八時間しか残ってないし、そのあいだには少し眠る必要もある。いくら人生が残り少ないとはいえまったく眠らないでひと晩おきているわけににもいかない。
「何を食べに行く?」と私は訊いてみた。
「イタリア料理なんてどうかしら?」
「いいね」
「私の知ってるところがあるから、そこに行きましょう。わりと近くよ。材料がすごく新鮮なの」
「腹が減った」と私は言った。「ねじでも食べれたちゃいそうだ」
「私もよ」と彼女は言った。「それ、良いシャツね」
「ありがとう」と私は言った。
 その店は図書館から車で十五分ほどの距離にあった。くねくねと曲がった住宅地の中の満ちを人や自転車をよけながらのろのろと進んでいくと、坂道の途中に突然イタリア料理店が姿を見せた。白い木造の洋風住宅をそのままレストランに転用したようなつくりで、看板も小さく、よく注意してみなければもてもレストランとはわからない。店のまわりは高い塀に囲まれた静かな住宅街で、高くそびえたヒマラヤ杉や松の枝が夕暮れの空にその輪郭を暗く描いていた。
「こんなところにレストランがあるなんてとても気がつかないな」と私はクルマを店の前の駐車場にとめながら言った。
 店はそれほど広くなく、テーブルが三つとカウンター席がや四つあるだけだった。エプロンをつけたウェイターが我々をいちばん奥のテーブルに案内した。テーブルの横の窓の外には梅の木の枝が見えた。
「飲み物はワインでいいかしら?」と彼女が訊いた。
「まかせるよ」と私は言った。私はワインについてはビールほどくわしくないのだ。彼女がワインのことをこまごまとウェイターと協議しているあいだ、窓の外の梅の木を眺めていた。イタリア料理店の庭に梅の木がはえているというのも何かしら不思議な気がしたが、本当はそれほど不思議ではないことなのかもしれない。イタリアにも梅の木はあるのかもしれない。フランスにだってかわうそがいるのだ。ワインが決まると我々はメニューを広げて食事の作戦を立てた。選択にはかなりの時間がかかった。まずオードヴルに小海老のサラダ苺ソースかけと生ガキ、イタリア風レバームース、イカの黒煮、なすのチーズ揚げ、わかさぎのマリネをとり、パスタには私はタリアテルカサリンカを、彼女はバジリコ・スパゲティーを選んだ。
「ねえ、それとべつにマカロニの魚ソースあえというのをとって半分こしない?」と彼女が言った。
「いいね」と私は言った。
「今日は魚は何がいいかしら?」と彼女がウェイターに訊いた。
「本日は新鮮なすずきが入っております」とウェイターは言った。「アーモンドをあしらった蒸し焼きでいかがでしょう?」
「それをいただくわ」彼女は言った。
「僕も」と私は言った。「それにほうれん草のサラダとマッシュルーム・リゾット」
「私は温野菜とトマト・リゾット」と彼女は言った。
「リゾットはかなりのヴォリュームがございますが」と心配そうにウェイターが言った。
「大丈夫。僕は昨日の朝からほとんど何も食べてないし、彼女は胃拡張だから」と私は言った。
「ブラックホールみたいなの」と彼女が言った。
「お持ちいたします」とウェイターが言った。
「デザートには葡萄のシャーベットとレモン・スフレとエスプレッソ・コーヒー」と彼女は言った。
「同じものを」と私は言った。
 ウェイターが時間をかけて注文票に書きこんでから行ってしまうと、彼女はにっこりわらって私の顔を見た。
「べつに私にあわせてたくさん料理を注文したわけじゃないんでしょ?」
「本当に腹が減ってるんだ」と私は言った。「こんなに腹が減ったのは久しぶりだな」
「素敵」と彼女は言った。「私、少食の人って信用しないの。少食の人ってどこかべつのところでその埋めあわせをしているんじゃないかって気がするんだけど、どうなのかしら?」
「よくわからない」と私は言った。よくわからない。
「よくわからない、というのが口ぐせなのね、きっと」
「そうなのかもしれない」
「そうなのかもしれない、というのも口ぐせなのね」
わたしは言うことがなくなったので黙って肯いた。
「どうしてなの?あらゆる思想は不確定だから?」
よくわからない、そうかもしれない、と私が頭の中でつぶやいていると、ウェイターがやってきて宮廷の専属接骨医が皇太子の脱臼をなおすときのような格好でうやうやしくワインの栓を抜き、クラスにそそいでくれた。

ー中略ー

「なるほど」と私は言った。なるほど。
オードヴルがいくつかはこばれてきたので我々はしばらくのあいだ黙ってそれを食べた。気取ったところのないさっぱりとした味つけだった。材料も新鮮だった。カキは海の底からひきあげたばかりみたいによくしまって母なる海の匂いがした。
「それで一角獣のことはうまくかたがついたのかしら?」と彼女はカキをフォークで殻からはがしながら訊いた。
「まあね」と私は言って、口もとについたイカの墨をナプキンで拭った。「いちおうのかたはついた」
「一角獣はどこかにいたの?」
「ここにね」と私は言って指の先で自分の頭をつついた。「一角獣は僕の頭の中に住んでいるんだ群れを作ってさ」
「それは象徴的な意味で?」
「いや、そうじゃない。象徴的な意味はほとんどないと思う。実際に僕の意識の中に住んでいるんだ。ある人がそれをみつけだしてくれたんだ」
「面白そうな話ね。もっと聞きたいわ。話して」
「それほど面白くない」と私は言って、なすの皿を彼女の方にまわした。彼女そのかわりにわかさぎの皿をまわしてくれた。
「でも聞きたいわ、すごく」
「意識の底には本人には感知出来ない核(コア)のようなものがある。僕の場合のそれはひとつの街なんだ。街には川が一本流れていて、まわりは高い煉瓦の壁に囲まれている。街の住人はその外に出ることはできない。出ることができるのは一角獣だけなんだ。一角獣は住人たちの自我やエゴを吸いとり紙み見たいに吸いとって街の外にはこびだしちゃうんだ。だから街には自我もなくエゴもない。僕はそんな街に住んでいるーーーということさ。僕は実際に自分の目で見たわけじゃないからそれ以上のことはわからないけどね」
「すごく独創的な話だわ」と彼女は言った。私は彼女に説明してから老人が川のことなんて一言も話さなかったことに気づいた。どうやら私は少しずつその世界に引きよせられつつあるようだった。
「でもぼくが意識して作ったわけじゃない」と私は言った。
「たとえ無意識的にであるにせよ作ったのはあなたでしょ?」
「まあね」と私は言った。
「そのわかさぎ悪くないでしょ?」
「悪くない」
「でもその話、私があなたに読んであげたロシアの一角獣の話と似ていると思わない?」と彼女はナイフでなすを半分に切りながら言った。「ウクライナの一角獣もまわりを絶壁に囲まれたコミュニティーの中で暮らしていたのよ」
「似てるね」と私は言った。
「何か共通点があるのかもしれないわ」
「そうだ」と私は言って上着のポケットに手をつっこんだ。「君にプレゼントがあるんだ」
「プレゼントって大好き」と彼女言った。

ー中略ー

オードヴルの皿がさげられ、パスタが運ばれてきた。私の激しい空腹感はまだ続いていた。六皿のオードヴルは私の体の中の虚無の穴にほとんど何の痕跡も残さなかった。私はかなりの量のあ?タリアテルを比較的短い時間で胃の中に送りこみ、それからマカロニの魚ソースあえを半分食べた。それだけをかたづけてしまうと暗闇の中にほのかな灯りが見えてきたような気がした。パスタが終わってからすずきが運ばれてくるまで、我々はワインの続きを飲んだ。
「ねえ、ところで」とワイン・グラスの縁に唇をつけたまま言った。おかげで彼女の声はグラスの中で響いているような妙にくぐもった感じになった。「あなたの破壊された部屋のことだけど、あれは何かとくべつな機械を使ったの?」
「機械は使わない。一人の人間がやった」と私は言った。
「よほど頑丈な人みたいね」
「疲れというものを知らないんだ」
「あなたの知っている人?」
「いや初めてあった人」
「部屋の中でラグビーの試合をやったってあんなに無茶苦茶にはならないわよ」
「そうだろうね」と私は言った。

ー中略ー

ウェイターがやってきて我々の前にすずきとリゾットを置いた。
「私にはよくわからないわ」と彼女はフィッシュ・ナイフですずきの身を切りながら言った。「図書館というのはとても平和なところだから。本がいっぱいあって、みんながそれを読みに来るだけ。情報はみんなに開かれているし、誰も争ったりしないわ」
「僕も図書館につとめればよかったんだ」と私は言った。本当にそうするべきだったのだ。
 我々はすずきを食べ、リゾットをひと粒残らずたいらげた。私の空腹感の穴はようやく底が見えるまでになってきていた。
「すずきは美味しかったわ」と彼女が満足そうに言った。
「バター・ソースの作り方にコツがあるんだ」と私は言った。エシャロットを細かく切って良いバターに混ぜて、丁寧に焼くんだ。焼くときに手を抜くと良い味がつかない」
「料理を作るのが好きなのね?」
「料理というものは十九世紀からほとんど進化していないんだ。少なくとも美味しい料理に関してはね。材料の新鮮さ・手間・味覚・美感、そういうものは永久に進化しない」
「このレモン・スフレもおいしいわよ」と彼女は言った。「まだ食べられる?」
「もちろん」と私は言った。スフレくらいなら五つだって食べられる。
 私は葡萄のシャーベットを食べ、スフレを食べ、エスプレッソ・コーヒーを飲んだ。たしかに素晴らしいスフレだった。デザートというのはこれくらいでなくてはならない。エスプレッソも手のひらにとることができそうなくらいならしっかりとして丸味のある味だった。
 我々が何もかもをそれぞれの巨大な穴の中に放りこんだところで、シェフがあいさつにやってきた。非常に満足したと我々は彼に言った。
「これだけ召しあがっていただけると、我々としてもとても作りがいがあるというものです」とその料理人は言った。「イタリアでもこれだけ召しあがれる方はそんなにはいらっしゃいません」
「どうもありがとう」と私は言った。
 シェフが調理場に戻ってしまうと、我々はウェイターを呼んでもう一杯ずつエスプレッソ・コーヒーを注文した。
「私と同じだけの量を食べて平然としていられる人はあなたがはじめてよ」と彼女ら言った。
「まだ食べられる」と私は言った。
「私の家に冷凍のピツァとシーバス・リーガルが一本あるわ」
「悪くないな」
と私は言った。



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Posted by HAPPY BIRTH CAFE at 21:42│Comments(0)料理
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