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2013年02月08日

茶道の教科書『茶味』⑶茶道の由来



二 茶道の由来

所謂茶道は利休によって大成せられたもので、茶の話をするものは利休々々という。その利休をして茶道を大成せしめたのは、その師紹鷗とその弟子宗啓とである。それで茶道を説明するには、是非ともその師弟三伝する間を考察する必要がある。
普通茶祖といわれているの珠光(1422〜1502足利義政時代)である。珠光は幼名を村田茂吉といい、南都称名寺に住し、三十歳頃から紫野大徳寺一休和尚に参じた。一休和尚から法信として圜悟禅師の墨跡を受け、庵中にかけて香華を供え、湯をわかし、茶を点て、同好の友、引き拙・宗悟・宗陳等を招いて、閑談雅話、興を塵外によせて、礼を厚くし行を正しくして交わった。又茶道という一書を編んで禅師に呈し、茶を悟道の階としたと伝えられている。これから察すると珠光の点茶は既に式法の点茶でなかった。悟道の妙味が之に加っていた。
紹鷗(1502〜1555)は初めは歌を三條実隆に学び、後茶の道の風流を聞いて珠光の後を追い、宗陳・宗悟に就いて其の蘊奥を極め、又古岳和尚に参じて禅を学んだと伝えられている。それで紹鷗の茶には歌の基礎があり、式法があり、禅味があることを忘れてはならぬ。当時、御調台飾りや書院飾り等の形式で飾り立てられた舶来の美術品が人を幻惑せしめ、器物は只珍奇華麗でさえあればよいとしていたのに対して、紹鷗は茶器のし標準を改める、品質を清素にし、飾り付けを簡単にして、草の茶器を工夫し、草の座敷に取り用い、所謂草の茶味を定め之を愛好した。
かく転化せしめた紹鷗の心には、明らかに器物その物よりも器物を動かす心の動きが重くうつっていたのである。このゆきかたは、支那文化丸呑み込みで、中心も秩序もなく、只漫然と飾り立てていた当時の装飾法に一新傾向を開いた。この心持の上に組み上げられた茶法を、
紹鷗も利休もわび茶と呼んだ。紹鷗はわび茶の心を
見渡せば花も紅葉もなかりけり
うらのとやまの秋の夕ぐれ
といえる定家卿の歌の心そのままなりとなし、之を茶境の説明とし、茶道を以って『一心得道の取りおこなひ形の外のわざ』なりというている。
その紹鷗に師事した利休(1521〜1591)は初め易庵に茶を学んだ。易庵は能阿弥の流れを汲んで、式法の方面から茶にくわしかった人である。利休はこの易庵の式法の茶の上に、紹鷗の心の茶を加えて所謂わび茶を大成した。かくて『家は漏らぬ程食事は飢えぬ程』と言える安易の天地に悟入し、この間に生活の理想を求め、その倹素な生活、換言すれば物欲にけがされない知足安分の生活の中に、純一無雑の境を開こうと企てた。
花をのみまつらん人に里山の
ゆき間の草の春を見せばや
の一首を以て、物欲の世界からはなれて、始めてあらわれ来る心の貴さを謳歌した。この内省の方面に更に明かな眼を開き「技の利休」が「道の利休」に悟入したのは、愛弟子宗啓を得て之を導き、はた自らも導かれつつ、その禅味を一層深からしめてからである。かくて利休はこの道をゆく人のえて陥り易い遁世の弊をさけ、貴い心の生活だけをねらった。さる人が利休に茶の湯の極意をたづねた時、
『夏にはいかにも涼しきやうに、冬にはいかにもあたたかなるように、炭は湯のわくやうに、茶は服のよきやうに、これにて秘事はすみ候』と答えた。心の生活は世事をはなれたる境地に非ずして、平時の行為そのものの中にあるべきをいうたのである。客は呆気にとられて、「そんなことなら誰も合点の前である」というた。利休は「それならば右の心に叶う様にして御覧ぜよ、宗易客に参りて弟子になるべし」というている。三歳の童子も知り易いが八十の老翁も行い難しと、鳥宀八果和尚がいわれたと一般で無一文の境界、平々凡々の間で、尚能く人を感ぜしめることの出来るのは、貴い心のひらめきより外にはない。
然るに、豊臣秀吉は其の功臣達に与うべき領地がなくなった時、之に代わるべき方便として手づから茶器を与える事を発明した。所謂器物拝領がこれである。かくて茶器は伝家の重宝となり、領地にひきかえてもというような執着心がわき、所謂拝物領飾りとか、拝領物扱いとかいう、飾り方や扱い方まで工夫せられて、純一無雑の境地に物欲の汚れを導き、省謂わび茶は骨董いぢりになり始めて、茶は道から離れるようになった。 時運非なりと諦めた宗啓は、利休自刃の後一年、利休忌を営み、漂然と庵を捨てて、そのもの跡を晦ました。
豊臣氏の後をうけた徳川氏は茶を政策に利用した。即ち家作りに数奇を凝らし、扱うに珍奇を競わしめたので所謂骨董いぢりが更に助長せられた。かかる間に茶道の根本精神は次第に忘れ果てられ、習う人は徒らに形の末を模倣し、遂に茶は日常生活から離れ去って、徳の生活にあくがるる人は『茶を弄ぶ者は家道を失ふ』と戒め、之を蛇蝎視するに至った。然しながらよく味わって見れば、茶道の道は貴むべき徳の生活である。惜しいかな、この貴い光がおおわれ、貴い跡が埋れて、茶道は骨董いぢりを本体とし、秘伝口伝の形式ばかりを特色とする珍妙な遊芸となり果てた。併しその本来の面目を失わしめた流弊をあらい去って、生活の準拠となるべき茶道の真諦を学ぶということは、今日の如き混沌たる世に処して如何に生活すべきかを知るために、貴い光と力とを得ることだと思う。










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Posted by HAPPY BIRTH CAFE at 06:26│Comments(0)
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