衣食住遊 イセヒカリ 今日無事生かして頂いてありがとう御座います

2013年12月18日

おもてなしの原点


今年の流行語の「おもてなし」

一般的におもてなしは茶道を連想させ、茶道といえば千利休。だがその元をたどっていくと村田珠光という人にたどり着く。
その村田珠光は座禅のときに眠くなりそこへ一休宗純がお茶をすすめてくれたことがきっかけとなり茶の道を学ぶようになっと言われている。
ということは茶道の原点は一休宗純の一杯のお茶が始まりだったのではないかと思えてくる。
座禅の時に寝てたら叩かれのが普通だが一休和尚はお茶をいれてくれた。
その人の全てを受け入れる寛容さに癒しに感じたのではないかという気がする。
そこがおもてなしや茶道の原点であり母性だったのではないかと思う。


一休さんの人生におもてなしの原点がある。
一休さん 第1話
http://www.youtube.com/watch?v=lwt8YhFzLt4&feature=youtube_gdata_player


庶民に愛された反骨の破戒僧
【 あの人の人生を知ろう 〜 一休 】
Ikkyu Sojyun 1394.1.1-1481.11.21
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic16.htmlより転載しましす。
●茶
侘び茶を創始し、茶室を考案した茶道の祖、堺の豪商・村田珠光(じゅこう)は一休の禅弟子。座禅の時の眠気防止に一休から茶を薦められたのが、そもそもの茶との出合いだったが、座禅を繰り返すうちに“茶禅一味”(いちみ、茶も禅も同じ)の悟りに達した。彼が始めた「侘び茶」は、従来の派手で形式中心の「大名茶」とは全く異なるもの。小さな四帖半の茶室の中では、人に身分など関係なく、そこにあるのは亭主のもてなしの心だけ。この心が仏だとした。まさに一休から学んだ「仏は心の中にある」であり、珠光は仏の教えをお経を通してではなく、日常生活(茶の湯)を通して具現化した。この思想は武野紹鴎(じょうおう)を経て千利休へと受け継がれてゆく。


アニメに出てくる“しんえもんさん”は蜷川新右衛門と言って実在する一休の弟子。初めて一休を訪れたとき、彼は「仏法とは何ですか」と質問し、一休はこう答えた。
「仏法は 鍋の月代(さかやき) 石の髭 絵にかく竹のともずれの声」
(石のヒゲや絵の中の竹の葉ずれの音と同じで、そんなの見たことも聞いたこともないわい)
この人をくったような返事に新右衛門はシビレたという。

「持戒は驢(ろば)となり 破戒は人となる」(頑固に戒律を守るのは何も考えず使役されるロバと同じ。戒律を破って初めて人間になる)

「秋風一夜百千年」(こうして秋風の中で貴女と過ごす一夜は、私にとって百年にも千年の歳月にも値するものです)

●奇行伝説
一休は町に出る時、よく美しい朱塗りの鞘(さや)に入った刀を持っていた。ある時不思議に思った人が「なぜ刀を持っているのですか」と質問したら、一休が抜いた刀は偽物の木刀だった。そして「近頃の偉い坊さんどもはコイツと同じだ。派手な袈裟を着て外見はやたらと立派だが、中身はホレこの通り、何の役にもたたぬわ。飾っておくしか使い道はござらん」と言い放った。

トンチ話
一休の生涯を見ていると、「渡るべからず」の物語は、ただのトンチの披露ではなく、世間の束縛やくだらない慣習は無視して「堂々と橋の真ん中を渡って行け!」とメッセージを込めたエールのようだ。

以上転載


一休さん 〜ははうえさま〜
http://www.youtube.com/watch?v=HKOpvoaN0ps&feature=youtube_gdata_player









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Posted by HAPPY BIRTH CAFE at 06:01│Comments(0)
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